伝記
ムムターズ・マハルは、ムガル帝国の宮廷で大富豪として知られたアーサフ・ハーンの娘で、本名をアルジュマンド・バーヌー・ベーグムという。「ムムターズ・マハル」はペルシア語で「愛でられし王宮の光彩」「宮廷の選ばれし者」を意味し、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号とされる。一方、結婚後に夫のフッラムが与えたものとも記される。
生まれたのはアーグラで、生年は1595年4月6日とも1593年4月27日ともされる。父のアーサフ・ハーンはペルシアの貴族の家柄で、ムガル帝国で高い官職に就いており、母はカズヴィーン出身のペルシア貴族の娘ディーワーンジー・ベーグムである。祖父ミールザー・ギヤース・ベグ(尊称イティマード・ウッダウラ)はサファヴィー朝からの亡命貴族で、1577年ごろ一家が貧しい状態でインドに来て、皇帝アクバルに仕えた。ギヤース・ベグの娘ミフルンニサー・ベーグムは、ジャハーンギールの寵妃ヌール・ジャハーンとなり、ムムターズ・マハルはその姪にあたる。姉パルワル・ハーヌムは、皇帝の乳兄弟の子に嫁ぎ、兄弟のシャーイスタ・ハーンは、のちにベンガルなどの総督を務めた。
学問に優れた教養ある女性で、アラビア語とペルシア語に通じ、ペルシア語で詩も作ったという。控えめさと率直さを併せ持ち、朗らかで自らを保つ人だったと伝わる。10代の初めごろから有力な貴族の注目を集め、ジャハーンギールも彼女の噂を聞いていたらしく、皇子フッラムとの婚約を快く認めた。婚約は1607年ごろで、彼女は14歳、相手は15歳であった。結婚はその5年後の1612年で、のちのシャー・ジャハーンとなる夫は、その容姿と性格を「当代の女性のなかで選ばれた者」と見た。婚約と結婚の間に夫は最初の妻を迎え、1617年には三番目の妻も迎えたが、いずれも政略結婚だったとされる。宮廷の歴史家たちは二人の親密な関係を記録に残し、記録者によれば、夫の親密さと愛情は、ほかの妻たちに向けたものを大きく上回っていたという。
夫からは深く寵愛され、19年の結婚生活で14人の子女をもうけた(男子8人、女子6人)。長男ダーラー・シコー、シャー・シュジャー、アウラングゼーブ、ムラード・バフシュの4人の男子と、3人の女子が成年まで育ち、7人は生まれてまもなく、あるいは幼くして死んだ。娘のジャハーナーラー・ベーグムは、シャー・ジャハーンのお気に入りの娘であった。夫が父帝ジャハーンギールや継母ヌール・ジャハーンと対立し、各地を転戦し逃避行を続けたときも、頻繁な妊娠にもかかわらず一行に同行し、苦楽をともにしたと伝えられる。詩人たちは生前から、彼女の美しさや優雅さ、思いやりをたたえた。
1631年6月17日、シャー・ジャハーンのデカン遠征中、遠征先で第14子となるガウハーラーラー・ベーグムを産んだあと亡くなった。夫はその死を大いに悲しみ、彼女の廟としてタージ・マハルを建立して、来世を弔った。この建造物は、永遠の愛の記念碑ともされる。ほかのムガルの宮廷の女性と同じく、彼女の同時代の肖像で認められたものはなく、想像による肖像画が描かれるようになったのは19世紀以降だという。
同じ年に亡くなった人物
- チェーザレ・クレモニーニ (1631年没)
- マイケル・ドレイトン (1631年没)
- ホルヘ・マヌエル・テオトコプリ (1631年没)
- コンスタンツェ・フォン・エスターライヒ (1631年没)
- ギリェン・デ・カストロ (1631年没)
同じ地域に関係する人物
- ムラード・バフシュ (1661年没)
- ベーラム (タギー) (1840年没)
- マーダヴァ (1425年没)
- Roop Singh (1977年没)
- ボージャ王 (1100年没)