伝記
セレステ・ホルムは、1917年4月29日にニューヨーク市マンハッタンで生まれたアメリカ合衆国の女優である。一人っ子で、母ジーン・パークはアメリカの肖像画家で作家、父テオドール・ホルムはノルウェー人の実業家で、ロンドンの保険組合ロイズのために海難の損害査定を行う会社を営んでいた。両親の仕事の関係で幼いころからよく旅をし、オランダ、フランス、アメリカの各地の学校に通った。シカゴの女子校で高校生活を始め、のちにフランシス・W・パーカー校に移って、多くの学校演劇に出演し、1935年に卒業した。その後シカゴ大学で演劇を学び、1930年代の末に舞台女優となった。
最初のプロの舞台は、レスリー・ハワード主演の『ハムレット』だった。ブロードウェイには1938年の喜劇に端役で初めて出たが、5回の上演で終わった。初めての大きな役は、1940年にウィリアム・サロイヤンの『君が人生の時』の再演で、新人のジーン・ケリーと共演した役である。批評家と観客に最も高く評価された役は、1943年のロジャース&ハマースタインの『オクラホマ!』の初演で演じたアド・アニーだった。『ブルーマー・ガール』に主演した後、1946年に20世紀FOXと契約を結び、その年に映画デビューした。鮮やかな赤のドレスで歌いながら登場する場面が衝撃を与えた。
1947年のエリア・カザン監督の『紳士協定』で、アカデミー助演女優賞とゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞した。1949年の作品と翌年の『イヴの総て』でも、同賞にノミネートされた。しかし、彼女は映画よりも生の舞台を好むと悟り、その後の10年間は、少数の映画の役だけを引き受けた。そのうちで最も成功したのは、フランク・シナトラと共演した1955年の喜劇と、、ミュージカル映画の『上流社会』(1956年)である。1950年代以降は舞台に戻った。1954年の秋には、大学教授から新聞記者に転身した役でテレビの連続番組に主演した。1965年にはテレビの『シンデレラ』で妖精のおばあさんを演じた。
1970年代と1980年代には、再び映画に出て、『トム・ソーヤー』や『三人の男と赤ちゃん』などに出演し、『刑事コロンボ』など多くのテレビ番組にゲストで登場した。1979年のテレビのミニシリーズでは、大統領夫人フローレンス・ハーディングを演じた。1981年12月には、クルト・ヴァイルの『レディ・イン・ザ・ダーク』のイギリス初演で主役を務めた。1996年から99年にはテレビシリーズにも出演した。俳優養成所のアクターズ・スタジオの終身会員となり、1968年にシカゴの演劇への功績を称えるサラ・シドンズ賞を受けた。1979年にノルウェー国王から聖オーラヴ勲章のナイトを贈られ、1992年にはアメリカ演劇の殿堂入りを果たした。ユニセフの広報担当としても活動した。
19歳だった1936年にラルフ・ネルソンと最初の結婚をし、1939年に離婚した。その長男は、のちに社会学者となったテッド・ネルソンである。結婚は生涯で5回に及んだ。2012年7月15日、ニューヨークの自宅で死去した。同じ建物にある俳優ロバート・デ・ニーロの部屋で火事が起き、脱水症状を起こして病院に運ばれていた。
同じ年に亡くなった人物
- William Grut (2012年没)
- スタンフォード・ロバート・オブシンスキー (2012年没)
- アンディ・ウィリアムス (2012年没)
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