伝記
リチャード・マシスンは、1926年2月20日にアメリカ合衆国のニュージャージー州アレンデールで生まれ、2013年6月23日にロサンゼルスの自宅で亡くなった小説家、脚本家である。ファンタジー、SF、ホラー、ウエスタンなど幅広い分野の小説を書き、映画プロデューサーや俳優としても活動した。1960年代には「リチャード・マティスン」と表記されていた。
ノルウェーからの移民の両親のもとに生まれた。8歳のときに両親が離婚し、ニューヨーク市ブルックリンで、母に育てられた。ブルックリンの夕刊新聞に連載されたケネス・ロバーツの小説や詩、1931年の映画『魔人ドラキュラ』の影響を受けて育ち、8歳で、自身初の短編が同紙に掲載された。1939年に専門高校のブルックリン工科高校に進み、1943年に卒業したあと、アメリカ陸軍の兵士として第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で従軍した。終戦にともなって除隊し、ミズーリ大学でジャーナリズムを専攻して、1949年に学士の学位を得て卒業し、カリフォルニア州に転居した。
1950年、『ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション』誌に掲載された短編「モンスター誕生」で作家としてデビューした。優れた物語の語りで、一つのアイディアを丁寧かつ繊細に描写するスタイルを持つ。長編には、『縮みゆく人間』『地獄の家』『ある日どこかで』『奇蹟の輝き』などがある。『ある日どこかで』は1976年の世界幻想文学大賞の長編部門を受賞した。初期の長編『吸血鬼』は、邦題が『地球最後の男』『アイ・アム・レジェンド』と変わり、3度映画化された。この作品で描かれた、夜の一軒家を大勢の吸血鬼が包囲して攻め寄せるというイメージは、のちの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』に取り入れられたという。藤子・F・不二雄のSF短編『流血鬼』も、この作品へのオマージュである。2013年には、この世紀の吸血鬼小説でブラム・ストーカー賞を受けた。
映像の脚本でも才能を発揮した。スティーヴン・スピルバーグ監督の『激突!』では原作と脚本を、『ヘルハウス』でも原作と脚本を手がけた。エドガー・アラン・ポー原作の『黒猫の怨霊』『忍者と悪女』などの脚色や、自作を脚色した『ある日どこかで』があり、この作品にはカメオ出演もしている。『トワイライト・ゾーン』や『事件記者コルチャック』などのテレビドラマの脚本も多く書いた。『トワイライト・ゾーン』の常連の脚本家にはチャールズ・ボーモントやロバート・ブロックらがいて、作家ピーター・ストラウブは、彼らを「マシスン・マフィア」と呼んだ。1984年には、世界幻想文学大会のグランドマスターに選ばれた。
息子のリチャード・クリスチャン・マシスンも小説家、脚本家として知られ、父子は「同姓・同名・同業」になっている。『ある日どこかで』のほかに『ゴッドファーザー』の第2作にも出演しているという噂が根強く流れているが、本人は生前、ずっとそれを否定していた。きっかけは、映画に出ていたマシスンと縁の深い二人の映画人の間に座っている男が、マシスンに違いないと、面識のない愛好家が言い出したことだった。場面を見れば、まったく似ていない人物だという。
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