HISTORICAL PERSON · 2015年没

レナード・ニモイ

アメリカの俳優、映画監督。『スタートレック』のスポック役で知られ、『スタートレック3』と『4』では監督も務めた。小惑星に名が付く。

生涯
2015年没
死亡地
アメリカ合衆国(カリフォルニア州 / ベル・エア)
出生地
アメリカ合衆国(West End)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(カリフォルニア州)

伝記

レナード・ニモイは、1931年3月26日にマサチューセッツ州ボストンで生まれ、2015年2月27日に亡くなったアメリカの俳優、映画監督である。本名はレナード・サイモン・ニモイ。『スタートレック』のスポック役で特に有名で、小惑星4864番は、彼にちなんで命名された。

ウクライナのイジャスラフからのユダヤ系移民の家庭に生まれた。両親は別々に故郷を出て、父は歩いて国境を越えてポーランドに入り、母と祖母は干し草の下に隠れて馬車で密出国した。二人はアメリカで再会し、1925年に結婚した。母は専業主婦で、父は理髪店を営み、兄にメルヴィンがいた。子どものころには、新聞や祝いのカードを売り、靴を磨き、劇場で椅子を並べるなどの仕事をして、家計を助けた。8歳のとき、ボストンの劇場で映画『ノートルダムのせむし男』を観て、チャールズ・ロートンの演じるカジモドに感情移入したことが、俳優になるきっかけだったと語っている。同じころ、子ども向けの地域の劇場で演じはじめた。祖父は彼の俳優への望みを励ました。ユダヤ教の聖歌隊で歌の才能も育て、13歳の成人式での歌唱は評判がよく、翌週に別の会堂で繰り返すよう求められたという。17歳のとき、アマチュアの舞台で、大恐慌期のユダヤ系の家庭を描いたクリフォード・オデッツの劇に出て、ほかに何もやりたくないと思うほどの情熱に火がついた。

ボストンカレッジを中退してカリフォルニアへ移り、貯めた金でパサデナ・プレイハウスに入ったが、半年でやめた。劇場の案内係やタクシーの運転手、自動販売機の補充などで暮らしながら、1950年代を通じて、ハリウッドで演技を教え、映画やテレビに端役で出た。1953年から1955年までは陸軍の慰問の部門で軍曹を務めた。映画『キッド・モンク・バローニ』で主演デビューした。1965年のパイロット版からスポックを演じはじめ、テレビ版『スタートレック』は1969年の初めまで続いた。この役で、エミー賞に3度ノミネートされた。『スパイ大作戦』では第4シーズンと第5シーズンにグレート・パリス役でレギュラー出演し、『刑事コロンボ』の「溶ける糸」では冷酷な犯人を演じた。1978年の『SF/ボディ・スナッチャー』にも出演した。

映画の『スタートレックIII ミスター・スポックを探せ!』と『スタートレックIV 故郷への長い道』では監督を務め、『スタートレックVI 未知の世界』では原作と製作総指揮も務めた。1970年代の自伝『アイ・アム・ノット・スポック』では、スポックの役に愛着を持ちながら、他の役や仕事に挑戦する妨げになっていると明かした。1995年の自伝『わたしはスポック』では、スポックが自分の一部であることを受け入れ、誇りに思うと語った。2010年4月21日に俳優業の引退を発表したが、2011年の『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』で復帰し、2013年の『スター・トレック イントゥ・ダークネス』が最後の出演作品となった。

1954年に女優のサンドラ・ゾーバーと結婚し、息子アダムと娘ジュリーをもうけたが、1987年に離婚した。1988年に、映画監督マイケル・ベイの従姉妹で女優のスーザン・ベイと再婚した。2014年に、30年以上たばこをやめていたが、慢性閉塞性肺疾患と診断されたとツイッターで明かした。2015年2月19日に胸の痛みで病院に搬送され、同月27日朝に自宅で亡くなった。83歳だった。最後のツイートは、人生は庭のようなもので、完璧な瞬間はあっても、思い出の中にしか残せない、という内容だった。

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