伝記
ラウラ・マンチネッリは、1933年12月18日にイタリア北東部のウーディネで生まれた作家、ドイツ文学・中世文学の研究者である。大学で教えるかたわら翻訳者、中世史のエッセイスト、歴史小説の著者としても活動した。幼い頃の4年間をトレンティーノ地方のロヴェレートで過ごし、1937年に一家でピエモンテ州のトリノに移った。
トリノ大学ではドイツ文学を専攻し、教授のもとで学ぶ中で、のちに作家・研究者となるクラウディオ・マグリスと出会った。1956年に、コンラート・フェルディナント・マイヤーを論じた卒業論文で学位を取得した。学位を得たあとの数年間は中等学校で教えたが、中世ドイツ文化への関心を手放すことはなく、1969年には『ニーベルンゲンの歌』を論じたエッセイ『問題と価値』を発表した。1970年代にはサッサリ大学でドイツ語文献学を教え、ドイツ研究者の呼びかけでヴェネツィアに移り、1976年にヴェネツィア大学でドイツ語史の講座を得た。マグリスの助言を受けて、1972年に『ニーベルンゲンの歌』を原典からイタリア語に訳して校訂し、1978年には『トリスタン』、1989年にはハルトマン・フォン・アウエの『グレゴリウス』と『哀れなハインリヒ』が続いた。1985年にはヴォルフラム・フォン・エッシェンバハの『パルツィヴァール』の校訂も手がけている。
1981年にトリノ大学のドイツ文献学の講座を得て同地に戻ると、同じ年に小説家としてデビューした。歴史小説『シャラントの十二人の修道院長』は1968年から書き始めた作品で、新人に贈られるモンデッロ賞を受けた。その後、1986年に『モーツァルトの亡霊』、1989年に『聖オディリアの奇跡』を発表し、後者はローマ市賞を受けた。少年モーツァルトのトリノ滞在を描く『アマデ』、『時の家』、1994年にラパッロ・カリジェ賞を受けた『皇帝の眼』、『聖杯の三騎士』、『裸足の王子』などが続いた。1997年には、警察大尉フロリンド・フローレスを主人公とするユーモアのある推理小説の連作を始め、第一作『車椅子の謎』でチェーザレ・パヴェーゼ賞を受けた。トリノ大聖堂の聖骸布の礼拝堂の火災を背景にした『聖骸布への襲撃』が出ている。
1990年代初めに多発性硬化症を患い、大学の講座を辞した。1994年以降は執筆に専念し、入院や長いリハビリの期間があっても、この十年余りで15作以上を世に出した。2001年の『エグジーユの長い夜』は、1708年にフランス駐屯軍の宴の夜を経て、エグジーユの要塞がフランス側からサヴォイア側に引き渡された経緯を描く。2002年の自伝的小説は2003年のヴィア・ポー賞を受け、2005年にはイタリア共和国功労勲章のグランデ・ウッフィチャーレを授けられた。2009年に『カヴールの眼鏡』を発表し、2011年の『二つの愛の物語』は、クリームヒルトとジークフリート、トリスタンとイゾルデという二組の有名な恋人たちの物語を、自由に解釈した作品である。作品は英語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語、ロシア語などにも訳された。2016年7月7日、病気の合併症のためトリノで亡くなった。7月11日にトリノの記念墓地で告別式が行われ、遺灰は小説の舞台としたスーザ渓谷のエグジーユに葬られた。
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