HISTORICAL PERSON · 2016年没

マービン・ミンスキー

米国のコンピュータ科学者・認知科学者。マサチューセッツ工科大学の人工知能研究所の創設者の一人で、「人工知能の父」と呼ばれる。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / ボストン)
出生地
アメリカ合衆国(ニューヨーク)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

マービン・リー・ミンスキーは、1927年8月9日にニューヨーク市で生まれたコンピュータ科学者・認知科学者である。父は医者、母はシオニズム運動家というユダヤ人の家庭に育ち、ブロンクス科学高等学校に進んだのち、マサチューセッツ州アンドーバーのフィリップス・アカデミーに転校した。1944年から1945年までアメリカ海軍で兵役に就いた。ハーバード大学で数学を学んで1950年に卒業し、1954年にはプリンストン大学で数学の博士号を得た。1958年以降はマサチューセッツ工科大学に所属し、1959年にジョン・マッカーシーとともに、のちのコンピュータ科学・人工知能研究所の前身となる研究所を創設した。のちにはメディアアートおよび科学の分野の教授となり、電気工学と計算機科学も教えた。専門は人工知能で、初期の研究を行って「人工知能の父」と呼ばれる。現在ダートマス会議として知られる会議の発起人の一人でもあった。

1951年には、世界初のランダム結線型のニューラルネットワーク学習マシンを製作した。特許としては、世界初のヘッドマウント型グラフィックディスプレイ(1963年)と、今日よく使われている共焦点レーザー顕微鏡の原点にあたる共焦点顕微鏡(1961年)が特筆される。シーモア・パパートとともにロゴ言語も開発した。そのパパートとの共著『パーセプトロン』は、ニューラルネットワーク解析の基礎を築いた一方、人工知能の歴史の中で大きな議論を呼んだ。単純パーセプトロンは線形分離不可能なパターンを識別できないと示し、1960年代の第一次ニューラルネットワークブームを終わらせて、1970年代の人工知能の「冬」を招く原因のひとつになったとされる。ほかにも「知識表現の枠組み」を論じた著作でプログラミングの新しいパラダイムを生み出した。映画『2001年宇宙の旅』にはアドバイザーとして参加し、映画にも小説にも名前が出ている。作家アイザック・アシモフは、ミンスキーを「自分が出会った人物のなかで自分より聡明なたった2人のうちの1人」とし、もう1人はカール・セーガンだという。

1970年代初め、MITの人工知能研究所でパパートとともに「心の社会」と呼ばれる理論の開発を始めた。知能と呼ばれるものがどのように知的でない部分の相互作用から生まれるかを説明しようとする理論で、おもちゃのブロックを積み上げるロボットアームとビデオカメラ、コンピュータを使う機械を作ろうとした作業から着想を得たという。1986年には、この理論を一般向けにまとめた『心の社会』を出版した。2006年11月には、人間の心の働きに関する様々な理論を批判し、新しい理論を示唆する著書を出し、その草稿は本人のウェブページで無料で公開された。ローブナー賞には批判的だった。

1969年にチューリング賞、1990年に日本国際賞、2001年にベンジャミン・フランクリン・メダルを受け、全米技術アカデミーと米国科学アカデミーの会員でもあった。3人の子があり、そのうちマーガレット・ミンスキーは哲学博士で、触覚技術に関心を寄せている。孫は4人いる。2016年1月24日、脳出血のため88歳で死去した。

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