伝記
安倍晋三は、1954年(昭和29年)9月21日に生まれ、2022年(令和4年)7月8日に没した日本の政治家である。内閣総理大臣(第90・96・97・98代)、内閣官房長官、自由民主党総裁、同幹事長などを歴任し、2012年から2020年にかけては、日本の憲政史上最も長く内閣総理大臣を務めた。退任後も党内で強い影響力を持ったが、2022年7月8日に奈良市で銃撃されて死亡した。
毎日新聞の記者だった安倍晋太郎と妻洋子の次男として生まれた。本籍は山口県で、祖父に衆議院議員の安倍寛、外祖父に後に首相となる岸信介、大叔父に元首相の佐藤栄作がいる。一家は渋谷区の岸の自宅で岸と同居していた。1958年に父が衆議院議員に初当選したが、1963年に落選すると両親は選挙区の山口県にいることが多くなり、兄の寛信と晋三には家庭教師がつけられた。岸の勧めで成蹊小学校に入り、そのまま成蹊中学校・高等学校を卒業した。成蹊大学法学部政治学科では行政学を学び、アーチェリー部に所属した。1977年に卒業して渡米し、翌年からは南カリフォルニア大学に1年間留学したが、学位は得ていない。
1979年4月に神戸製鋼所に入社した。本社輸出部のほか、加古川製鉄所の工程管理やニューヨーク事務所などに勤務し、上司や同僚からは「まじめで要領がよく、敵を作らない有能な会社員」と見られていた。酒がまったく飲めない体質だったが付き合いは断らず、同僚との麻雀にも深夜まで加わったという。1982年11月、父が外務大臣に就任すると、秘書官になるよう命じられた。当初は拒んだものの、父が会社に連日電話を入れて退職を迫り、ほどなく同社を退いて秘書官となった。3年7か月勤めた会社であった。1987年6月には森永製菓社長の長女で電通社員の昭恵と結婚した。
1991年5月に父が急死し、跡を継いで立候補する意思を表明した。1993年6月の衆議院議員総選挙に旧山口1区から立候補して初当選し、父がかつて会長を務めた清和政策研究会に所属した。2000年の第2次森内閣で内閣官房副長官となり、小泉内閣でも再任された。2002年の小泉首相の北朝鮮訪問にも随行し、拉致問題では北朝鮮への経済制裁を主張したとされる。2003年9月には、閣僚も党の要職も未経験のまま小泉に抜擢されて自民党幹事長となり、異例の人事として注目された。幹事長時代には、派閥の長が配下に配る「餅代」「氷代」の廃止や、候補者公募制の一部導入などを行った。2004年7月の参議院選挙では目標の51議席を下回れば重い責任を取ると述べ、結果は49議席だったが、しばらく留まったのち辞任し、後任の求めで幹事長代理に就いた。
2005年10月、第3次小泉改造内閣で内閣官房長官として初入閣し、再チャレンジ推進会議の議長を務めた。2006年7月には著書『美しい国へ』を刊行し、9月に自民党総裁選への出馬を表明、憲法改正や教育改革、財政健全化などの方針を示した。9月20日の総裁選で麻生太郎と谷垣禎一を大差で破って総裁に選ばれ、26日に内閣総理大臣に指名された。52歳での就任は戦後最年少で、戦後生まれの首相としても初めてであった。自身の内閣を「美しい国創り内閣」と称し、小泉構造改革を引き継ぐ方針を所信表明演説で述べた。同年10月には、小泉の靖国参拝問題で途絶えていた中国と韓国への訪問を果たし、北京で胡錦濤国家主席と会談した。
同じ年に亡くなった人物
- マンタス・クヴェダラヴィチュス (2022年没)
- ガル・コスタ (2022年没)
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- ブルーノ・ラトゥール (2022年没)
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