伝記
ジーナ・ロロブリジーダは、イタリアの女優であり、フォト・ジャーナリストでもあった人物である。1927年7月4日、ラツィオ州ローマ県のスビアーコに生まれたとされるが、生年には1928年や1929年とする説もある。本名はルイジーナ・ロッロブリージダ。父は家具工場を経営し、母ジュゼッピーナとの間に生まれた4人姉妹の第2子だった。1943年に工場が爆撃で破壊され、戦後の1945年にローマへ移り、ウンブリア州の歌劇場の舞台で喜劇に出演した。姉妹にはジュリアーナ、マリア、フェルナンダがいたとされる。
ローマでは美術学校に入り、彫刻や絵画を学んだ。フォトノベルのモデルを務め、映画にも初めて出演した。ミス・ラツィオでは準優勝に入っている。1947年にはミス・イタリアで第3位となり、これが縁で『愛の妙薬』(1948年)のヒロインに抜擢された。1949年、スロベニア出身の医師ミルコ・シュコフィチと結婚し、1957年に息子アンドレア・ミルコが生まれた。夫は彼女のマネージャーになるため、医師の道を断念したという。1950年には、富豪ハワード・ヒューズとの7年契約でハリウッドへ渡ったが、英語がほとんど話せず、常に監視されているように感じて6週間ほどで帰国した。ヒューズは契約違反を主張し、アメリカでの他社作品への出演を妨げたが、ヨーロッパでの撮影は続けられた。
1952年の『花咲ける騎士道』と『夜ごとの美女』で国際的に注目され、『パンと恋と夢』(1953年)も人気を集めた。1953年にはジョン・ヒューストン監督の『悪魔をやっつけろ』でハリウッドデビューを果たし、世界的な人気を得た。『美女の中の美女』(1955年)で「世界で最も美しい女性」と呼ばれるようになり、この作品でダヴィド・ディ・ドナテッロ賞を受けた。この映画では吹き替えなしで歌も披露している。ほかに『空中ぶらんこ』『ノートルダムのせむし男』『ソロモンとシバの女王』『九月になれば』などに出演した。1954年にはベルリン国際映画祭で特別功労賞を受け、1961年にはゴールデングローブ賞も受けている。1964年3月には日本を訪れてイタリア映画祭に参加し、1974年5月には写真集『イタリア・ミア』の宣伝で再び来日した。記者会見では、誰もがカメラを持つ日本人のほうがパパラッチより質が悪いと語った。
1971年に夫と別れ、1973年から1983年にかけては女優業を休んで写真家、彫刻家として活動した。ポール・ニューマンやサルバドール・ダリ、ヘンリー・キッシンジャーらを撮影し、1975年にはフィデル・カストロへの単独インタビューに成功した。1981年にモントリオール世界映画祭、1986年にベルリン国際映画祭の審査委員長を務め、1999年には欧州議会議員選挙に立候補して落選、同年に国際連合食糧農業機関の親善大使となった。2013年には宝石類を競売にかけ、真珠のイヤリングは239万ドルで落札されて同種の最高値となった。売上の一部は幹細胞研究に寄付された。1990年にはフランスの育種家が新種のバラを作り、彼女にちなんで命名している。2004年にフランス芸術文化勲章、2012年にレジオンドヌール勲章、2017年にイタリア共和国功労勲章、2018年にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を得た。晩年は大理石を加工する彫刻家として過ごし、2023年1月16日、ローマの診療所で95歳で亡くなった。
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