伝記
セクストス・エンペイリコスは、2世紀から3世紀ごろのローマ帝国期ギリシアの懐疑主義哲学者、医学者である。生涯についてはほとんど知られていない。アレクサンドリア、ローマ、アテナイなど様々な土地に住んだとされ、ローマ風の名セクストスからは、ローマ市民だったことがうかがえる。10世紀のビザンツの百科事典スダは、カイロネイアのセクストスと同一人物だとするが、この同定は疑問視されている。
医学者としては、伝承によれば自らの名にちなんだ経験学派に属していたとされる。ただし、著作の中で少なくとも二度、方法学派に近いところに自身を置いており、これは彼の哲学からもうかがわれることである。ディオゲネス・ラエルティオスとスダは、ピュロン主義についての10巻の著作があったと伝え、スダは『倫理学』という題の作品も記録している。このほか、著作中には『医学的注解』『経験学派の注解』『魂についての注解』といった、現存しない作品への言及がある。
哲学的著作はほぼ完全な形で現存し、古代懐疑主義の基本資料となっている。現存するのは『ピュロン主義哲学の概要』と、同名異作の『数学者に対して』2作(一方はおそらく未完)の計3作である。『ピュロン主義哲学の概要』には、判断保留(エポケー)へ導く論証様式として、アイネシデモスに帰される「十のトロープ」に加え、後にアグリッパの名と結びつけられる「五つのトロープ」、すなわち不一致・無限後退・関係性・仮定・循環論法が詳しく記録されている。ただしセクストス自身は後者をアグリッパに帰さず、「より新しい懐疑主義者たち」の議論として匿名で紹介している。アグリッパへの帰属は、3世紀のディオゲネス・ラエルティオスによるものである。『数学者に対して』の前半6巻は『教師たちに対して』の名で知られ、文法学者・修辞学者・幾何学者・算術家・天文学者・音楽家を扱う。これらは最晩年の、完成された形の著作とされる。第7巻から第11巻は完全な形では残らず、『論理学者に対して』『医学者に対して』『倫理学者に対して』と通称され、『独断主義者に対して』として別の著作とされることもある。
セクストスは、あらゆる信念について、真とも偽とも判断せず、判断を停止すべきだと主張した。これがピュロン的懐疑論である。彼はこれを、知識そのものを否定するアカデメイア的懐疑論とは区別した。真なる信念として何かを知ることは不可能だとする立場は、それ自体が断定的な信念だとして批判したのである。判断停止によってのみ、心の平安(アタラクシア)が得られるという。信念を用いず、習慣に従って生きることもできると考えた。また、「私が味わった蜂蜜は私にとって甘い」という経験の主張は肯定できるが、それは主観的判断にとどまり、蜂蜜そのものについての知識にはならないと指摘した。帰納の妥当性を疑い、あらゆる推論に対して無限後退の論法を向けたともいわれる。
『ピュロン主義哲学の概要』のラテン語訳は1562年にジュネーヴでアンリ・エティエンヌにより出版され、1569年にはジャンティアン・エルヴェによる全訳が続いた。ギリシア語原典の初版は1621年である。この著作は16世紀から18世紀のヨーロッパで広く読まれ、モンテーニュ、ヒューム、ヘーゲルらに深い影響を与えた。ピエール・ベールの辞典も、その思想が広まる経路となった。反対する立場の哲学への論駁も含まれるため、ヘレニズム期の諸哲学を知る重要な資料でもある。
同じ年に亡くなった人物
- Pope Theonas of Alexandria (300年没)
- ファスティダ (300年没)
- サベリウス (300年(推定))
- 烽上王 (300年没)
- エペソスのクセノポン (300年(推定))
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