伝記
ペイディアスは、古代ギリシアを代表する彫刻家である。フェイディアス、あるいはフィディアスとも表記され、生年は紀元前490年ごろ、没年は紀元前417年ごろとされる。アテナイの出身と伝わる。初期の史料は簡潔なうえに互いに矛盾する点が多く、その生涯は神話や民間伝承に彩られている。確実に言えるのは、古代で最も名高い像のうちの二つ、アテナ・パルテノスとオリンピアのゼウスの作者だということである。
彼が生きたのは、のちに「ペリクレスの世紀」と呼ばれるアテナイの盛期だった。民主政が固まり、政治・軍事・文化が活発に動いた時代である。ペルシア軍はアテナイを略奪して多くの神殿や記念碑を壊していた。当初その廃墟はペルシアの蛮行を思い出させるものとして、あえて放置されたという。しかしペルシアとの和平が成ると、アクロポリスの聖域をはじめ都市を復興し、守護女神アテナへの感謝と、アテナイの指導的地位を示そうとする流れが強まった。ペリクレスと親しかったペイディアスは、復興が始まる紀元前447年に顧問となり、パルテノン神殿の建設で総監督を務めたと伝えられる。本尊のアテナ・パルテノスを造り、神殿を飾る彫刻の制作も指揮したとされる。
ただし、この総監督の話には疑問も多い。そうした記述は『対比列伝』を著したプルタルコスの書物などに見られるが、当時のアテナイでは多くの官職と同じく、神殿の造営監督官も一年任期で交代していた。そのなかで絶大な権限を持つ総監督がいたかは疑わしく、当時の会計を記した碑文にも彼の名は出てこない。そのため今日では、彼の役割はもっと限られており、パルテノンの再建と装飾に集中していたと考える見方が有力である。膨大な数の彫刻が比較的短い期間で仕上げられたことを思えば、彼自身が手を下した部分は少なかったと見るのが妥当だとも言われるが、全体の構想には一人の創造的な個性が働いていたことがうかがえるという。
作品には、ほかにアテナ・プロマコスなども知られる。しかし原作は失われており、パルテノン神殿の彫刻群を除けば、今日に伝わるのは後世の模刻が中心である。神殿の彫刻の一部が彼の作とされることもあるが、確かな根拠はなく、彼が実際にどこまで彫ったのかも分かっていない。ローマ時代の複製や、後の研究者が原作の断片と見なしたものも、推測に基づく部分が大きい。作風の面では、アルカイック期の彫刻が、規範化された抽象的な型を二百年近く守ってきたのに対し、紀元前5世紀半ばにミュロン、ポリュクレイトスとともに登場した彼が、人体の比例を改め、身体の美を徳と結びつけるという古い考えを受け継ぎつつ、より自然に近い表現を打ち立てたとされる。ただし古典期の彫刻も個人の癖を写すのではなく、理想的な形を目ざしていた。
最期については諸説ある。アテナ・パルテノスの材料を着服したとして投獄され、紀元前438年か、それ以後にアテナイで没したという説がある。また、そのころオリンピアへ行ってゼウス像を造り、十数年後に同地で亡くなったとも伝わり、はっきりしない。それでも彼は、高古典期の彫刻を築いた一人であり、西洋で最も重要な彫刻家の一人として名声を保ち続けた。
同じ年に亡くなった人物
- エンペドクレス (紀元前430年代没)
- ゼノン (エレア派) (紀元前430年代没)
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス (紀元前 430年(推定))
- プロタゴラス (紀元前430年代没)
- メリッソス (紀元前 430年(推定))
同じ地域に関係する人物
- アイアキデス (紀元前313年没)
- ジョージ・ゴードン・バイロン (1824年没)
- キロン (紀元前519)
- アイトーリアーのアレクサンドロス (紀元前300)
- ピュロン (紀元前270年代没)