HISTORICAL PERSON · 1832年没

ジャン=フランソワ・シャンポリオン

フランスの古代エジプト学の研究者。ロゼッタ・ストーンを解読してヒエログリフを解明し、古代エジプト学の父と言われる。1822年に解読結果を発表し、1826年にルーブルのエジプト美術部門の創設を担当した。

生涯
1832年没
死亡地
フランス共和国(パリ)
出生地
フランス共和国(フィジャック)
出典
世界地図
フランス共和国(パリ)

伝記

ジャン=フランソワ・シャンポリオンは、1790年12月23日にフランス南西部ロット県のフィジャックで生まれ、1832年3月4日にパリで没した古代エジプト学の研究者である。ロゼッタ・ストーンを手がかりにヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)を解読したことで知られ、「古代エジプト学の父」と呼ばれる。

父ジャックは、ヴァルボネ出身で、書籍の行商をしたのちにフィジャックの市場広場に書店を開いた。母ジャンヌ=フランソワーズは良家の娘だったが、読み書きができず、二人は1773年に、ともに30歳のときに結婚した。夫妻の七人の子の末っ子として、教会で洗礼を受けた。フランス革命のさなかの生まれで、学校の多くは修道会が運営しており、閉鎖されたため、7歳になるまで正規の教育を受けられなかった。母は病気がちで、父は仕事で留守にしたので、12歳年上の兄ジャック=ジョゼフと三人の姉に世話された。自分で読み書きと絵を覚えようとした。少年のころから並外れた語学の才能を示し、9歳でラテン語を話したという。グルノーブルの高等学校で、中国語を含む多くの古代語を学んだ。18歳のときには、出回っていたロゼッタ・ストーンの写しの一部を手に入れていた。20歳までに、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語、アムハラ語、サンスクリット語、アヴェスタ語、パフラヴィー語、アラビア語、シリア語、ペルシア語、中国語などを習得し、コプト語などの東洋語にも関心をもっていた。イゼール県知事の数学者ジョゼフ・フーリエに、発見されたばかりのロゼッタ・ストーンを見せてもらって以来、そこに刻まれた文字の解読に取り組むようになった。早熟の言語学者で、1806年にはデモティックの解読に関する最初の論文を出している。

1809年にグルノーブル大学の歴史学助教授となった。ナポレオン戦争の間は徴兵を免れたが、ナポレオンへの忠誠のためにその後の王党派の政権に疑われ、一時は学界から離れて暮らした。1820年ごろから本格的に解読に取り組み、先に前進を果たしていたイギリスの学者トマス・ヤングの業績をやがて凌いだ。1822年に解読の成果をパリの学士院で発表し、エジプトの文字が表音文字と表意文字を組み合わせた体系であることを示した。1824年にはイタリアに滞在し、トリノのエジプト博物館からパピルスや美術品を相当数提供されて、精力的に研究した。同年に『ヒエログリフの体系概説』を発表した。1826年にはルーヴルのエジプト美術部門の創設を担当した。長年の夢だったエジプトへの調査旅行は1820年代の末に果たし、読まれたことのない多くの碑文を読み、新たな写しを持ち帰った。1831年5月18日、コレージュ・ド・フランスの古代エジプト学教授になったが、旅の苦労で健康を損ね、数回の講義しかできないまま、1832年にコレラで死去した。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬され、エジプトの文法書は没後に出版された。ヤングの功績を十分に認めなかったとして批判もされたが、解読は今では広く認められ、その後のあらゆる発展の基礎となった。小惑星(3414)シャンポリオンが、功績をたたえて彼にちなんで命名されている。

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