伝記
ムカンナアは、8世紀にソグディアナ方面でアッバース朝に対する反乱を率いた指導者である。ペルシア系とされ、カリフのマフディーに対して反乱を起こしたことで知られる。ゾロアスター教とイスラム教を混ぜ合わせた教団を組織し、預言者を名乗ったと伝えられる。現在、その思想は主流のイスラム教各派から異端とみなされている。没年は783年とされるが、780年あるいはそれ以降ともいう。
「ムカンナア」は本名ではなくあだ名で、「ヴェールの者」「仮面」を意味する。顔をヴェールで覆っていたことに由来するのかもしれないが、黄金の仮面を着けていたからだというもっともらしい伝説もある。実名についてはアター、ヒシャーム、ハーシム、ハキームなど諸説あり、通常は「ハキームの息子ハーシム」とされる。9世紀の文人ジャーヒズは、名はアターだと伝えている。出身地もメルヴとも、バルフともいわれる。若いころは染物職人として過ごしたとされ、のちにアブー・ムスリム配下の暗殺者を経て、その部隊長になったと伝わる。
アブー・ムスリムがアッバース朝のマンスールに粛清された後、ムカンナアはその死を否定した。アブー・ムスリムはアダムやノアの生まれ変わりで神の化身であり、自分はムハンマドやアリーから預言を受けて、その預言者の役割を担うのだと主張したという。常にヴェールで顔を覆ったのは、預言者として自らの美しさを見せてはならないからだと伝えられるが、敵対するアッバース朝の側は、預言者を僭称する者の醜さを隠すためだとか、禿で片目だからだとかいった。信奉者たちは、アッバース朝の象徴である黒に対抗して白い服を着たため、「白衣を着る者」を意味するムバイイダと呼ばれた。ムカンナアは魔術を使い奇跡を起こす預言者として崇拝され、現地の農民やトルコ人の部族民が多数集まった。
776年、アブー・ムスリムをマフディーと主張するムカンナアと信奉者は、反アッバース朝を掲げて周辺のイスラム教徒の街やモスクを襲い、略奪を始めた。アッバース朝は軍隊を送ってこれを鎮圧しようとし、反乱は776年から783年まで続いた(ムカンナアの乱)。783年、敗色が濃くなると、ムカンナアは服毒して自殺し、籠城していた宮殿に火を放ったとされる。自分ではなくアブー・ムスリムが捕らわれてはならないとの考えからだったと伝わる。ケシュ近郊で死んだという。死後も教団は、預言者が戻ってくる日を待って12世紀まで存続したといわれる。
後世の文化にも名を残した。トマス・ムーアは叙事詩『ララ・ルーフ』(1817年)に「ホラーサーンのベールの預言者」としてモカンナという登場人物を描いた。1878年にはセントルイスの実業家たちがこの詩を引いて「ベールの預言者協会」をつくり、モカンナを創設者とする伝説をでっち上げた。協会は年次の「ベールの預言者フェア」を開き、フェアは1992年に改称された。アルゼンチンの作家ボルヘスも、短編集『汚辱の世界史』の一編「仮面の染物師、メルヴのハキム」(1934年)でその生涯を描いた。ほかにも、1877年にはスタンフォードが詩に基づくオペラ『ベールの預言者』を作り、モロッコの作家ハティビは戯曲『ベールの預言者』(1979年に刊行)で、史実と虚構の伝承からこの物語を読み直している。イランの映画監督ホスロー・シナイも、1999年にテヘランで脚本『白衣の男』を出版した。
同じ年に亡くなった人物
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- ヒルデガルト (フランク王妃) (783年)
- ベルトラード・ド・ラン (783年)
- Arbeo of Freising (783年)
- 韓幹 (783年没)
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