HISTORICAL PERSON · 796年没

エグフリッド (マーシア王)

マーシア王オファの子。イングランド初とされる聖別式を経て即位したが、在位わずか141日で病没した。

生涯
796年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

エグフリッドは、七王国のひとつマーシア王国の王である。在位は796年7月29日から同年12月までで、わずか141日間にすぎなかった。名の日本語表記にはエッジフリス、エッグフリート、エグフェルト、エジュヴェルスなどもある。

イングランドの覇権を握ったマーシア王オファと、王妃キュネスリスのもとに生まれた。5人の子のうち唯一の息子であり、770年ごろの父の勅許状に初めてその名が見える。787年、王として聖別された。これはイングランドの王として記録が残る最初の聖別式であり、聖祓の儀式、あるいは戴冠式とも訳される。父オファが、781年にカール大帝(シャルルマーニュ)の息子たちが教皇によって聖別されたのを模倣して行ったものとみられ、王権に超越性と神聖性を与えることを意図していた。聖別ののちは、王として勅許状にも署名している。こうしてエグフリッドは、父の共同統治者となった。オファは、自らの血筋に王位を確実に継がせようとしたのである。

789年ごろ、オファはエグフリッドとカール大帝の娘ベルトとの婚姻を画策した。しかしカール大帝はこの申し出に激怒し、計画は頓挫したという。経緯をたどると、カール大帝は、オファの娘の一人を自らの息子に嫁がせる案を示した。これに対してオファは、それならエグフリッドにもカール大帝の娘を迎えるべきだという条件をつけて拒んだ。これが3年にわたる争いとなり、カール大帝は自国の港をイングランドの商人に対して閉ざさせた。海峡を越える交易の重みが明らかになったことが、オファの貨幣改革の理由の一つとされる。

796年7月29日にオファが死去すると、エグフリッドはマーシア王位を継いだ。しかし同じ年のうちに世を去る。『クロウランド年代記』には「彼は病魔に襲われ、この世を去った」と記されており、没したのは12月の14日とも17日ともいわれる。在位はわずか141日間であった。

エグフリッドの死後、王となったのは、オファとは遠縁のケンウルフであった。これは、オファが我が子のライバルを除くために近親者を殺したためだとみられる。カール大帝の顧問を務めた修道士アルクィンは、書簡にこう記している。かの高貴な若者が死去したのは、彼の罪によるものではなく、父親が流した血の復讐が息子に届いたのです。あの父親が、息子に間違いなく王国を継がせるために、どれほどの血を流したか、あなたもご存じでしょう。アルクィンはさらに、このことは王国を強くするというよりも、むしろ崩壊させる行いであったと付け加えた。

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