伝記
イブン・アブド・アルハカムは、九世紀のエジプトで活動したスンナ派の歴史家であり法学者である。名はアブー・アルカースィム・アブドゥッラフマーン・イブン・アブドゥッラー・イブン・アブド・アルハカムといい、フスタートの出身である。生年は801年とも803年あるいは805年ともされ、871年(ヒジュラ暦257年)に没した。エジプトとマグリブ、アンダルスの征服を記した『エジプト・マグリブ・アンダルス征服史』の著者として知られ、この書はアラビア語で書かれた最古級の歴史書として今日まで伝わっている。
家はアラブ系で、征服に伴ってエジプトへ来た一族の出であった。父アブドゥッラーと兄弟のムハンマドは、九世紀初めのエジプトでマーリク派法学の第一の権威とされた人々である。父の死後、一族は正統信仰を守ったために、カリフのワースィクから迫害を受けたという。ムタワッキルの治世には、イブン・アブド・アルハカムとその兄弟たちが、故人の遺産を横領したとして訴えられ、投獄された。兄弟の一人は拷問のために死んだとされる。この一族の不名誉のため、初期の伝承学者や歴史家に多く引用されながら、名前が挙げられることは少なかったといわれる。
彼が生きた時代は、エジプトの支配層だったアラブ人が、東方から来たトルコ系の軍人に取って代わられていく時期にあたる。その著作には、先行する時代への郷愁がはっきり感じられるという。860年ごろに、現在の形の『征服史』をまとめたとされる。これは、エジプトで八世紀から九世紀初めまでに書かれ、いまは失われた書物や、おそらく土地の口承に基づく物語や記憶を集めたものである。失われた書物のなかには、エジプト征服に関する伝承を最も早く集めたらしいヤズィード・イブン・アビー・ハビーブ(745年没)の著作も含まれる。
イブン・アブド・アルハカムは、厳密には、歴史家というより伝承学者であった。初期イスラーム文化を示す出来事のなかから、法学を教えるのに使える話を主に取り上げたからである。典拠は、非常に早い時期の伝承学者がまとめて今は失われた書物と、父親などからの口伝であった。研究者のなかには、彼を歴史家というより、エジプトと北アフリカの征服にかかわる法的・宗教的な伝承について、先例と説得力のある歴史的説明を求めた法学者とみる者がいる。一方で、歴史家ヒュー・ケネディは、その著作の歴史的な内容を重く見ている。
『征服史』は四つの写本が残り、いずれも一つの写本、おそらく弟子の一人が作ったものに由来すると考えられている。題は『エジプト征服記』のほか、『エジプト征服とその記録』、より長い題名のものがある。大部分は、イスラーム以前のエジプトの伝説的な歴史、エジプト征服、北アフリカ征服、初期の入植地、最初のイスラーム裁判官たちに充てられている。そこには、北アフリカへの最初の遠征の記述がある。トレドの封印された部屋の伝説、ジュリアン伯の話、グアダレーテの戦いとされる決戦、「ターリクの山」すなわち現在のジブラルタルの地名由来なども含む。イベリア半島に関するアラビア語で最初の書物とされ、後の記述の土台になった。ただし、出来事から約二百年後に書かれたため、事実に後世の伝説が混ざっているともいわれる。全文のアラビア語校訂本は、北アフリカの部分を先に英訳していたチャールズ・トリーが1922年に刊行した。スペイン征服に関する短い部分はジョン・ハリス・ジョーンズが英訳し、スペインと北アフリカの部分はフランス語やスペイン語にも訳されたが、書物全体から見れば一部にすぎない。
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