伝記
シャープール4世は、サーサーン朝の王族で、415年から420年までアルメニア王を務め、420年にはペルシアの王として短期間だけ統治した人物である。君主の称号はシャーハーン・シャーである。名のシャープールは「王の子」を意味し、もとは称号だった可能性もあるとされる。この名はパルティア語や中期ペルシア語ではシャープール、アルメニア語ではシャプフ、ギリシア語ではサポレスなど、さまざまな言語で記録された。
ヤズデギルド1世とショーシャンドゥフトの子として生まれ、弟にバハラーム5世とナルセがいた。アルサケス朝のアルメニア王コスロヴ4世が死去した際、ヤズデギルド1世は王冠をコスロヴの甥のアルタクシアス4世に与えず、長男のシャープールに与えることを決めた。アルメニアでの治世中、シャープールは和解に力を注ぎ、貴族たちと友好的な関係を築いた。また、キリスト教徒のアルメニア人をゾロアスター教に改宗させようとあらゆる努力をしたが、ほとんど成功しなかった。
420年、父のヤズデギルド1世がヒルカニアで、サーサーン朝の貴族たちに殺害された。シャープールはすぐにアルメニアを発ってクテシフォンに到着し、サーサーン朝の王位を主張した。しかしその治世は短く、ヤズデギルド1世の息子たちをすべて排除しようとした貴族と神官によって殺害された。その後、貴族たちはバハラーム4世の子ホスローを王に擁立した。
シャープールが鋳造した貨幣は、通常のサーサーン朝の貨幣とは異なっている。通常は表に王の像が置かれ、裏には拝火壇とその二人の従者が描かれるが、この貨幣の裏には、羊の角を二本あしらった珍しい帽子をかぶったシャープールの像が刻まれている。縁にはパフラヴィー文字の銘があり、「アルメニア人の大王シャープール」と訳せる。鋳造年は不明だが、414年から420年の間とされ、ゾロアスター教の儀礼を示す要素である火や従者の姿は見られない。
この短い治世を伝える証人は、5世紀のアルメニアの歴史家ラザル・パルペツィとモヴセス・ホレナツィ、そしてマンダ教の『王たちの書』に限られる。『王たちの書』には、ヤズデギルドの子である「シャーブール王」として登場する。
同じ年に亡くなった人物
- スルピキウス・セウェルス (420年)
- ヒエロニムス (420年没)
- ポルフュリオス (420年没)
- カスティヌス (420年(推定))
- Nemesius (420年)
同じ地域に関係する人物
- ハティーブ・バグダーディー (1071年没)
- ムティー (974年没)
- Ibn 'Abd al-Hakam (871年没)
- アルムクタディー・ビ・アムリ・アッラーフ (1094年没)
- アムル・イブン・アル=ライス (900年代没)