伝記
アブル・ファラジュ・イスファハーニーは、10世紀の西アジアで活動した文人、詩人、学者である。系譜学者、音楽学者、書記でもあった。897年(または898年)に生まれ、967年に没したとされ、アラブ詩歌と音楽を集成した大著『歌の書』の著者として知られる。
一般に受け入れられている生没年は、バグダードの歴史家ハティーブ・バグダーディーが、弟子ムハンマド・イブン・アビー・ファワーリスの証言に基づいて伝えたものである。ただし、この年代は慎重に扱う必要がある。967年より前に没したとする資料はなく、むしろそれより後とするものがいくつかある。また、彼の作とされる著作には967年に自分が青年期の盛りにあったという記述があり、生没年と合わない。弟子や情報提供者の寿命から計算すると、902年より前に生まれ、960年より後に没したと推定される。
出生地は現在のイランにあたるペルシアのイスファハーンとされ、青年期と初期の学業は現在のイラクにあたるバグダードで過ごした。ただし、「イスファハーニー」という呼び名は一族に共通するもので、出生地を示すとは限らないようである。一族は曾祖父アフマド・イブン・ハイサムの代にサーマッラーに移り、のちにバグダードを拠点とした。曾祖父の子アブド・アルアジーズはカリフ・ムタワッキル(在位847年-861年)の時代の高位の書記で、祖父ムハンマドも宰相や書記ら、アッバース朝の官僚たちと交流した。母方の祖父はサワーバ家のヤヒヤー・イブン・ムハンマド・イブン・サワーバと記される。この一族はシーア派だったとする説もあるが、確かな証拠はない。アリー家(アリーの子孫)の人々と友好的な関係にあった点は多くの宮廷人と同様で、これらの記述からすると、一族はアッバース朝のエリートの人脈に深く根を下ろしていた。彼は、ウマイヤ朝最後のカリフ、マルワーン2世の子孫、八代目にあたるとされる。このためアンダルスのウマイヤ家とも結びつき、彼らと文通し、著作の一部を送ったと見られる。古いアラブの事柄に関する知識で名高かった。
『歌の書』は、アッバース朝のカリフ、ラシードの時代の音楽家がまとめた100首の詩と楽譜などをもとに、古代からアッバース朝にいたるアラブ人の詩歌と、詩人や音楽家の伝記を集めた書である。詩、アラブ音楽、詩人、音楽家にまつわる逸話や風俗が盛りこまれた百科全書的な内容で、21巻の大部となった。この書は、7世紀から9世紀にいたる初期のアラブ音楽について、現存する最古の情報を含み、イスラム以前の時代から彼自身の時代までの詩人と音楽家の生涯も伝える。執筆には50年を要したといわれる。
のちの人生は、イスラム世界の各地で過ごした。アレッポではハムダーン朝のサイフ・アッダウラのもとに身を寄せ、完成した『歌の書』を献上した。サイフ・アッダウラは金貨1000枚を与え、それでも足りないと考えて詫びたという。アンダルスのハカム2世も写本を求め、金貨1000枚を贈った。レイでは、ブワイフ家の宰相イブン・アッバードのもとにも滞在した。この宰相は、30頭のラクダで書物を運ぶのを常としていたが、『歌の書』を手に入れてからはこれだけで済ませたと伝わる。イブン・ハルドゥーンは『歴史序説』で、この書を「アラブ人の文書庫」と賞賛した。ジョージ・サワは、初期アラブ音楽の記録に果たした貢献から、彼を「近代民族音楽学の真の預言者」と評している。
同じ年に亡くなった人物
- アル=カビーシー (967年没)
- ムイッズ・ウッダウラ (967年)
- 藤原朝忠 (967年没)
- Vushmgir (967年)
- ダフ (スコットランド王) (967年)
同じ地域に関係する人物
- コルマール・フォン・デア・ゴルツ (1916年没)
- ムクタフィー (12世紀) (1160年没)
- ナスィールッディーン・トゥースィー (1274年没)
- ホルミズド4世 (590年没)
- Ibn 'Abd al-Hakam (871年没)