伝記
アルキタスは、古代ギリシアの哲学者、数学者、天文学者、音楽理論家、政治家、軍事戦略家であり、日本語ではアルキュタスとも表記される。生没年は紀元前428年から紀元前347年とも、紀元前430年頃から360年頃ともいわれ、生年は紀元前435年から410年のあいだとする説もあるなど、年代には幅がある。ピュタゴラス教団に連なる科学者で、プラトンの良き友人であった。
出身は南イタリアのマグナ・グラエキア(大ギリシア)にあるタラス(現在のターラント)で、父はムネサゴラスまたはヒスティアイオスと伝えられる。フィロラオスのもとでしばらく学んだ後、数学の教師となり、クニドスのエウドクソスを教えた。メナイクモスは、アルキタスとエウドクソスの教え子であった。ピュタゴラス以後、算術・幾何学・天文学・音楽という四つの学問を合わせて探究した先駆者の一人ともされる。
学問の面では、算数学を科学の基礎と考え、幾何学よりも優位に置いた。ディオゲネス・ラエルティオスは、数学の原理を力学に応用した最初の人物が彼だと述べている。エウトキオスによれば、彼は立方体の倍積問題を幾何学的な説明で解こうとしたといい、この解決は彼の最も重要な数学上の業績とされる。比例の理論は『ユークリッド原論』第8巻の、二つの比例中項の作図の箇所で論じられている。音楽では調和音程の数学的な理論に貢献し、光学では反射の説明を、音響学では音の高低の違いの説明を試みた。伝承では、滑車やねじ、さらにはガラガラを発明したともいう。ただ、著作の多くは失われており、確実に本物とされる断片は4つにとどまるため、詳しい業績は分からない。
政治家・戦略家としては、半世紀前のアテナイのペリクレスに似た、タラスの有力者だったようである。将軍職には続けて就けない規則があったにもかかわらず、市民は彼を7年続けてストラテゴス(将軍)に選んだ。伝えられるところでは、将軍として南に接する勢力との戦いで無敗だったという。町を豊かで人口の多い都市に育て、記念碑や神殿を建てて飾り、イストリアやギリシア、アフリカとの通商も広げたとされる。プラトンは『第七書簡』で、シラクサのディオニュシオス2世のもとで危うい立場に陥ったとき、アルキタスが救ってくれたと記している。プラトンは紀元前388年か387年頃に南イタリアとシチリアを訪れており、その旅で彼と出会ったとされる。研究者の中には、彼をプラトンの哲人王の構想の手本の一人と見る者もいる。
最期は、アドリア海での難破による溺死と伝わる。ホラティウスの詩によれば、遺体は岸辺に放置されたままだったが、水夫が慈悲深く一握りの砂をかけたことで、100年間ステュクス川の手前をさまよう運命を免れたという。月のクレーターにその名が付けられている。
また、5世紀ほど後のアウルス・ゲッリウスの書物にだけ見える話として、彼が鳥の形をした自走式の飛行機械「鳩」を作り、約200メートル飛んだという噂がある。紀元後1世紀には、新ピュタゴラス派の哲学者が彼の名を騙って、範疇を扱う偽書『普遍的ロゴスについて』を書いた。古代にはこれが本物と信じられ、アリストテレスの時間論がこの書の影響を受けたとまで考えられたが、作者が別人であることが分かったのは20世紀のことである。この書は古代末期のネオプラトニストに大きな影響を与えた。
同じ年に亡くなった人物
- Lysis of Taras (紀元前347)
- コロポーンのアンティマコス (紀元前347)
- プラトン (紀元前347年没)
同じ地域に関係する人物
- ニコラ・ファーゴ (1745年没)
- パクウィウス (紀元前129)
- フィリッポ2世 (ターラント公) (1373年没)
- コルメラ (70年没)
- アルキダモス3世 (紀元前338年没)