HISTORICAL PERSON · 910年没

Ibn Abi Shaiba

クーファ出身のイスラム法学者・ハディース学者。歴代で二番目に大きいハディース集成とされる『ムサンナフ』を著した。

生涯
910年没
死亡地
イラク共和国(ナジャフ県 / クーファ)
出生地
イラク共和国(クーファ)
出典
世界地図
イラク共和国(ナジャフ県)

伝記

イブン・アビー・シャイバ(アブー・バクル・アブドゥッラー・ブン・ムハンマド・ブン・アビー・シャイバ)は、ヒジュラ暦159年(西暦775年)に生まれ、235年(849年)に没したイスラーム法学者でありハディース学者である。「ハディース学者の長」とも呼ばれ、スンナ派のハディース伝承者を代表する一人とされる。『ムサンナフ』の著者として知られ、この書はハディースの集成として史上第2の規模をもち、このジャンルで現存する最古級の著作のひとつである。

家系は、祖父イブラーヒーム(アブー・シャイバ)がワーシトの裁判官を務めた人物で、その伝承は弱いとされる。父ムハンマドはファールスの裁判官であり、信頼できると評された。アブー・バクルには、信頼できるとされる兄弟のウスマーンと、弱いとされる兄弟のカースィムがいた。一家はワーシトの出身で、のちにクーファに移り住み、アブー・バクルはクーファで生まれ、そこで没した。そのためアルクーフィー(クーファの人)と呼ばれ、アルアブスィー(アブス族の庇護民)の名でも知られる。名のうち「アビー・シャイバ」は祖父の呼び名に由来し、通常はアブー・バクル・ブン・アビー・シャイバと呼ばれる。

学問の家に育ち、少年のころからハディースの探求を始めた。二人の兄弟も同じ道を歩み、息子のイブラーヒームや甥のムハンマド・ブン・ウスマーンもハディース学者になった。一家のなかでも最も名高く、学識が広かったのがアブー・バクルであり、記憶力の強さと広さは語り草となった。アフマド・ブン・ハンバル、イスハーク・ブン・ラーヒーヤ、アリー・ブン・アルマディーニらとは、年齢、生まれ、記憶力の点で同輩とされる。イラクやヒジャーズなどでアブドゥッラー・ブン・アルムバーラク、スフヤーン・ブン・ウヤイナ、ワキーウ・ブン・アルジャッラーフ、アブドゥッラフマーン・ブン・マフディーら多くの師から学んだ。

その伝承を受けた弟子には、ブハーリー、ムスリム、アブー・ダーウード、イブン・マージャがいた。ナサーイーは、彼の弟子の一部を通じて伝承を受けた。アフマド・ブン・ハンバルとその子アブドゥッラーも彼から伝え、アブー・ズルア・アッラーズィーやアブー・ヤアラーらも名を連ねる。ムスリムは彼から1,540のハディースを収め、師のなかで最も多く伝承した。そのため『ムスリムの真正集』を繰ると、彼の名にほとんど必ず出会うという。ブハーリーは30のハディースを収めている。バグダードに来たのはムタワッキルの時代で、その講義の聴衆は3万人と見積もられたという。

同時代以後の評価は高い。アブー・ウバイドは、ハディース学者を代表する4人として、法的な理解で最も優れたアフマド、配列で優れたイブン・アルマディーニ、集めることで優れたイブン・マイーン、そして書物の構成で最も優れたアブー・バクルを挙げた。アルイジュリーは「信頼でき、ハーフィズである」と述べ、アルハティーブ・アルバグダーディーは、正確で多くを記憶し著作も多いと評して、『ムスナド』『アフカーム』『タフスィール』を著したと伝える。アッザハビーは「比類なき大ハーフィズ」と呼び、イブン・カスィールは、彼の『ムサンナフ』は前にも後にも並ぶものがないとまで述べた。ほかに『イーマーン』や『アダブ』も著した。一方、アフマドがその誤りの多さをほのめかしたという話もあるが、アルハティーブはそれを別の意図によるものと見ている。235年ムハッラム月8日の木曜日、クーファで76歳で世を去った。

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