伝記
ウィリアム・ラッセルは、1799年6月18日にボルトンに生まれ、1880年10月5日に没したイギリスの天文学者である。海王星の衛星トリトンや土星の衛星ヒペリオンなどを発見した。本業は醸造業者で、リヴァプールで事業を営んで財産を築き、その財産を天文学の研究に投じた。独学の人であり、趣味として天文学に関心を持ち、ウィリアム・ハーシェルの業績を読んで、同じかそれ以上の望遠鏡を自分でつくろうと考えた。しかしハーシェルが用いた金属の配合は秘密のままで、ラッセルは何度も試験を重ねたものの、うまくいかなかった。
そこでアイルランドの貴族ロス卿が、ハーシェルに並ぶ、あるいはそれを上回る反射鏡の製作に成功したと知り、1844年に訪問した。そこで金属の溶解と混合、ゆっくりとした冷却、巨大な鏡を蒸気機関で研磨する繊細な技術を目にした。リヴァプールに戻ると、口径約23センチの小さな反射望遠鏡の製作に取りかかり、これを研磨して、私設の天文台スターフィールドに据えた。望遠鏡は光学的に優れているだけでなく、使いやすくなければならないと考え、鏡を赤道儀式の架台に載せた。ロス卿の望遠鏡が二つの石壁のあいだに固定されて天体を1時間しか追えなかったのに対し、これはどの方向にも自在に向けられた。のちにはさらに大きな口径約61センチ(24インチ)の金属鏡を自作して同じ形式の架台に載せ、星や星雲、惑星を観測した。反射鏡を自ら削り、研磨したのである。この天文台の24インチ反射望遠鏡は、赤道儀を備えた望遠鏡としては最も早く造られたものの一つとされる。
1846年9月23日に新惑星の海王星が見つかったと新聞で知ったラッセルは、その約17日後に望遠鏡を向け、10月10日の夜に海王星最大の衛星トリトンを発見した。その外観や明るさ、動き、軌道も丹念に調べた。1848年9月18日の夜には土星のそばに小さな衛星を認め、これはヒペリオンと名づけられた。数日後、アメリカの天文学者ウィリアム・クランチ・ボンドが同時に観測していたことを新聞で知り、二人は発見者を分け合った。この成果は彼の天文学への志を固め、以後は他の仕事をやめて惑星の研究に没頭し、1851年には天王星の衛星アリエルとウンブリエルを発見した。同年、ヴィクトリア女王がリヴァプールを訪れた際には、民間人としてただ一人、招待される栄誉を受けた。
イギリスの天候や都市の明かりに満足できず、より観測に向いた気候を求めて、助手のアルベルト・マルトとともに地中海のマルタ島へ移った。マルタ島は大気が安定し、空が澄んでいて観測に最適だったが、新たな衛星は見つからなかった。そこで、より大きな口径が必要と考えて約122センチ(48インチ)の鏡を製作し、部品に分けてマルタ島へ運んで据え付けた。この望遠鏡で火星、土星、天王星、海王星、彗星などを詳しく観測し、帰国後はメイデンヘッド近くに最終の天文台を構えた。1849年に王立協会フェローに選ばれ、同年に王立天文学会のゴールドメダルを、1858年にはロイヤル・メダルを受けた。月と火星のクレーター、海王星の環の一つ「ラッセル環」に彼の名が残る。
同じ年に亡くなった人物
- アジェノール・ド・グラモン (1880年没)
- ウィリアム・ハロウズ・ミラー (1880年没)
- サラ・フォーブス・ボネッタ (1880年没)
- ジャック・オッフェンバック (1880年没)
- エドモン・アルビウス (1880年没)
同じ地域に関係する人物
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- ジョージ3世 (イギリス王) (1820年没)
- ボリス・ベレゾフスキー (2013年没)
- エリザベス・ボーズ=ライアン (2002年没)
- ヘンリー・ジョージ・リデル (1898年没)