伝記
アルケタスは、紀元前319年に没した、マケドニア王国の将軍でディアドコイの一人である。アレクサンドロス3世に仕えた。オレスティスのオロンテスの子で、マケドニアの有力貴族ペルディッカスの弟にあたる。姉妹にアタランテがおり、アッタロスに嫁いでいたため、アッタロスは義理の兄弟であった。アルケタスが歴史の表舞台に初めて現れたのは、アレクサンドロスの東方遠征のインド遠征においてである。マッサガの包囲戦では負傷者を収容し、その直後にはオラという町に分遣されて、町を封鎖せよという王の命令を果たした。
紀元前323年にアレクサンドロスが死ぬと、アルケタスは兄のペルディッカスとともに、大王の異母姉妹キュナネを殺害した。キュナネは娘のエウリュディケ(アデイア)を、王ピリッポス3世(アリダイオス)と結婚させようとしており、アレクサンドロスとロクサネの遺児の後見人となって権力を握ろうとしていたペルディッカスにとって、邪魔な存在だったからである。殺害は、ペルディッカスがアンティパトロスの娘ニカイアと結婚した数日後のことだったとされる。この殺害にはマケドニアで大きな憤りが起こり、結局、結婚はペルディッカスの影響もあって行われたという。この事件は、アンティゴノスがアンティパトロスやクラテロスとともにペルディッカスに反旗を翻す一因になったとされる。
紀元前321年、ペルディッカスと彼に不満を持つ将軍たちとの間で戦争が起こった。ペルディッカスは、カッパドキアなどの軍を率いるエウメネスを指揮官に定め、アルケタスにはネオプトレモスとともにエウメネスに従うよう命じた。アルケタスは、反ペルディッカス同盟の将軍クラテロスと戦うことになった。しかし、軍内で圧倒的な人望をもつクラテロスを敵に回すことへの恐れがあった。敵がクラテロスと分かったときには、味方の兵が寝返ることさえ予想されたという。さらに、文官出身で外国人でもあるエウメネスの下につくのを嫌い、アルケタスは合流しなかった。結局クラテロスにはエウメネスが単独で当たり、ヘレスポントスの戦いでクラテロスを敗死させた。だが、前後してペルディッカスがエジプトで配下の将軍たちに殺されており、アルケタスらペルディッカス派は頭を失った。
その後、トリパラディソスの軍会で、アルケタスやエウメネスを含むペルディッカス派はマケドニア人の敵と宣告され、討伐が決まった。討伐にあたったのはフリュギア総督アンティゴノスである。アンティゴノスはエウメネスを破ってカッパドキアの城砦ノラに封じ込めた後、アルケタスに矛先を向けた。アルケタスはピシディアで義理の兄弟アッタロスと合流してアサンドロスを破ったが、紀元前319年のクレトポリスの戦いでアンティゴノスに決定的な敗北を喫した。アッタロスをはじめ主な将軍たちは捕らえられ、旧ペルディッカス派は壊滅したが、アルケタスはテルメッソスへ逃れた。
テルメッソスで彼は若者たちの支持を得た。しかし、戦争に巻き込まれるのを恐れた長老たちが、アルケタスをアンティゴノスに引き渡そうとした。アルケタスは生きて敵の手に落ちることを良しとせず、自殺した。ただ、長老たちに殺されたとも伝えられる。アンティゴノスによって一族は皆殺しにされ、遺体は3日間にわたってもてあそばれた。アンティゴノスが去った後、アルケタスの死を悲しんだテルメッソスの若者たちが、放置された亡骸を埋葬して墓を建てた。
同じ年に亡くなった人物
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