HISTORICAL PERSON · 紀元前309年没

クレオメネス2世

アギス朝のスパルタ王。若くして即位し60年もの長期にわたり在位したが、レウクトラの敗北後のスパルタ衰退期にあって特に目立った功績は残さなかった。

生涯
紀元前309年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

クレオメネス2世は、古代スパルタのアギス朝の王である。紀元前369年または紀元前370年に即位し、紀元前309年に没するまで、60年以上にわたって王位にあった。父はクレオンブロトス1世で、兄は先王アゲシポリス2世にあたる。クレオンブロトス1世は紀元前371年のレウクトラの戦いでテーバイと戦って命を落とし、長男のアゲシポリス2世が継いだが、まもなく世を去った。そこでクレオメネスが若くして王位についたのである。

在位は兄の3年あまりに比べて桁外れに長かったが、その生涯はほとんど知られていない。確かな行いとして伝わるのは、紀元前336年のピュティア競技祭の戦車競走で優勝したことと、同じ年の秋に、地震で壊れていたデルフォイのアポロン神殿の再建のために510ドラクマという少額を寄付したことだけである。この寄付をきっかけにデルフォイへ赴き、他のギリシア諸国と非公式の外交を行ったのかもしれない、ともいわれる。プルタルコスの『倫理論集』には、闘鶏にかかわる彼の短い機知の言葉が残されている。

スパルタは、クレオメネスの即位前のレウクトラの敗北でギリシアの覇権を手放しており、その治世を通じて衰えていった。治世の初期には紀元前362年のマンティネイアの戦いでの敗北もあった。北方のマケドニアがピリッポス2世のもとで勢力を伸ばしたとき、ギリシア諸国は一枚岩ではないまでも、ある程度は抵抗した。だがスパルタはこれに加わらず、のちのマケドニアによる覇権の確立を助けることになったと評される。紀元前331年には、共同の王であったエウリュポン朝のアギス3世がマケドニアに反乱を起こしたが、将軍アンティパトロスにメガロポリスの戦いで敗れた。軍事はエウリュポン朝のアゲシラオス2世、アルキダモス3世、アギス3世が担っていたらしく、スパルタが政策を外に知らせなかったことが、史料の沈黙の理由かもしれないともいわれる。長男アクロタトスが軍事を担ったとする見方もある。

クレオメネスには、アクロタトスとクレオニュモスの二人の息子がいたが、アクロタトスは父より先に死んでいた。次男のクレオニュモスは、スパルタ人に信用されなかったためか、王位継承からはずれたとされる。紀元前309年にクレオメネスが没すると、王位は孫のアレウス1世が継いだ。アレウスはまだ非常に若く、クレオニュモスが摂政を務めたともされる。

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