伝記
アンドレゴト・ガリンデスは、10世紀前半のアラゴン女伯であり、パンプローナ王ガルシア・サンチェス1世の最初の妃である。922年から925年、あるいは943年ごろまでアラゴン伯領の主だったとされ、生年は910年ごろ、没年は972年とされる。
父はアラゴン伯ガリンド2世・アスナーレスで、母はパンプローナ王サンチョ1世の異母姉妹にあたるサンチャ・ガルセスとされる。ガリンド2世の2番目の妻の子とも、最初の妻の長女ともいわれ、父の領地のうち、もう一つのソブラルベ伯領は、異母姉妹のトダ・ガリンデスが、リバゴルサ伯ベルナト1世と結婚したことで同伯に渡った。アラゴン伯領はサンチョ1世の下でパンプローナ王国に組み込まれており、922年にガリンド2世が亡くなったあとは、庶子とみられるグンティスロ・ガリンデスが伯として記録に現れる。
父が死んだとき、アンドレゴトはまだ幼かった。家臣のフォルトゥン・ヒメネスが後見人となって統治を行ったとされるが、『ロダ写本』では、ガリンド2世の庶子グンティスロが933年まで後見人だったとされる。925年、従兄弟のガルシア・サンチェス1世との結婚が決められ、アンドレゴトの後見は、ガルシアが成人する933年まで後見人を務めることになっていたヒメノ・ガルセスが担うことになった。また、アラゴン伯領の占領によって生じた法的な問題を、919年の協定と、のちのガルシアとの婚約によって解決したともいわれる。
二人の結婚は938年より前、あるいは938年ごろに行われたとされ、940年より前、あるいは942年から943年ごろに、血縁を理由として解消された。二人はともに、パンプローナのガルシア・ヒメネスの孫にあたる。結婚の無効により、女性のアンドレゴトはアラゴン伯領の支配権を行使できなくなり、息子のサンチョ・ガルセス2世が伯領を継承して、アンドレゴトは引退した。二人の間にはこの息子が一人いたとされ、のちのパンプローナ王サンチョ2世である。ガルシアの娘トダとウラカを彼女の子とみる説もあるが、母については不明とも異論があるともいわれる。
971年には、ルンビエル一帯で自らの副王国を治めていたとされる。再婚して子をもうけたとする説もあるが、詳細は見つかっていない。972年、アイバルの所領に引退したまま亡くなったと伝えられる。
同じ年に亡くなった人物
- リュートプランド (クレモナ司教) (972年没)
- 藤原伊尹 (972年没)
- タクショニュ (972年)
- ヨハネス13世 (ローマ教皇) (972年没)
- スヴャトスラフ1世 (972年没)
同じ地域に関係する人物
- グアダルーペ・オルティス・デ・ランダスリ (1975年没)
- マドレーヌ・ド・フランス (ビアナ公妃) (1495年没)
- チェーザレ・ボルジア (1507年没)
- フリオ・カロ・バローハ (1995年没)
- サンチョ7世 (ナバラ王) (1234年没)