伝記
イブン・バーバワイフ、通称シャイフ・サドゥーク(アル・シャイフ・アル・サドゥーク)は、十二イマーム派シーア派を代表する学者であり、神学者、ハディース(預言者や歴代イマームの言行)の編纂者である。ペルシア系の出自で、正式な名はアブー・ジャアファル・ムハンマド・イブン・アリー・イブン・アル・フサイン・イブン・ムーサー・イブン・バーバワイフ・アル・クンミーという。シーア派の形成期における最も重要な学者の一人とされ、とくにシーア派のハディースと神学の分野での大きな業績で知られる。
生まれた正確な年は分かっていない。シーア派の学者たちは、ヒジュラ暦305年より後、おそらく306年の生まれと考えている。生地は現在のイランの首都テヘランの南西にある町コムで、そこはシーア派の伝承学の中心だった。バーバワイフという名はペルシア語の名の、アラビア語形とされる。一族は長いあいだ熱心なシーア派の信徒であり、父アリー・イブン・バーバワイフ・クンミー(939年没)もコムの学者たちの指導的な人物だった。彼は父と地元の学者から教育を受けた。彼の誕生は、第12代イマームであるムハンマド・アル・マフディーへの祈願のあとに授かったものとされ、奇跡と見なされている。また彼は、イマームの隠れの時代の最初の期間に生き、父を通じてマフディーから祈願への書簡を受け取ったと伝えられる。
966年、彼はコムを離れてバグダードに向かった。イスラム世界を広く旅して、各地で伝承を学んだ。のちには思弁的な神学よりも伝承を重んじることを強調し、その著作のほとんどが伝承の集成の形をとっている。そうしたなかで、シーア派の信条を述べた『信条の書』も著した。この書は、弟子のシャイフ・ムフィードが『信条の訂正』で改訂し、いくつかの点を批判している。彼は多作で、トゥースィー(1067年没)は300以上の著作があると数えたが、手元にあったのは43にすぎなかった。ナジャーシー(1058年没)は193の著作を挙げたが、最も有名な『ファキーフのいない者のために』には触れていない。著作の多くは失われたが、一部は現存し、刊行されたものも写本のまま残るものもある。
『ファキーフのいない者のために』は、シーア派の四大ハディース集の一つで、法規や儀礼、倫理などの伝承を収める。彼自身が序文で、この書の成立の事情と題名の理由を述べており、バルフ近郊のイラークという地で、シャリーフ・アッディーン・アブー・アブドゥッラーフに会ったことが執筆のきっかけだったと記される。題名は「法学者が身近にいない者のために」の意で、法規の実践面を扱う書である。英語圏ではエドワード・グランヴィル・ブラウンによって「誰もが自分の法律家」と訳された。五大書とする見方もあり、その場合は『知の都』が加わるが、これは現存しないとされる。シーア派では、アル・クライニーやシャイフ・ムフィードと並ぶ、初期のハディース学の大学者として記憶されている。
晩年はブワイフ朝のルクン・アッダウラに招かれて、レイに住んだ。厚遇されたが、ブワイフ家の宰相イブン・アッバードによって、彼の教えは制限された。これは伝承主義者全般に向けた攻撃だったらしく、スンナ派の伝承学者の何人かも、同じような制限を受けた。彼は381年(991年)にレイで没し、70歳を超えていたとみられる。墓は現在のイランにあるイブン・バーバワイフ墓地に残る。
同じ年に亡くなった人物
- バルダス・スケレロス (991年)
- 円融天皇 (991年没)
- テオファヌ (991年没)
- ヤクーブ・ブン・キッリス (991年没)
- エルフギフ (991年没)
同じ地域に関係する人物
- ニーマー・ユーシージ (1960年没)
- Abd al-Jabbar ibn Ahmad (1025年没)
- アーザム・ターレガーニー (2019年没)
- モザッファロッディーン・シャー (1907年没)
- アブドゥルアズィーズ・ハキーム (2009年没)