伝記
デイダメイア(エペイロスのデイダメイア1世)は、エペイロスの王女で、のちにデメトリオス・ポリオルケテスの妻となった人物である。紀元前300年ごろに病没したとされる。エペイロス王アイアキデスと妃プティアの娘に生まれ、のちにエペイロス王となるピュロスの姉妹にあたる。アイアキデスはアリュッバスとトロアスの子で、トロアスはオリュンピアスの姉妹だった。プティアはテッサリアのメノンの娘である。両親にはデイダメイアとトロアスの二人の娘とピュロスという息子がいた。
まだ少女のころ、父によってアレクサンドロス大王とロクサネの子アレクサンドロス4世と婚約させられた。そしてこの王子とオリュンピアスに伴ってマケドニアへ赴き、紀元前316年にはともにピュドナで包囲された。この結婚は実現しなかった。アレクサンドロス4世と母ロクサネは殺害されたためで、その時期は紀元前310年とも紀元前309年ともされる。
その後、デイダメイアは年頃になり、アンティゴノス・モノフタルモスの子デメトリオス・ポリオルケテスと結婚した。デメトリオスがペロポネソスを解放した直後で、二人はアルゴスのヘラの祭りの際に結婚したという。デメトリオスがギリシアでの勢力を固めようとしていた時期であり、この結婚はデメトリオスとピュロスを結びつける絆となった。
デメトリオスが父アンティゴノスを助けて同盟する諸王と戦うためアジアへ向かう際、デイダメイアはアテナイに残された。船と資金とともに残されたのは、安全を保つためだったとされる。紀元前301年のイプソスの戦いでデメトリオスが敗れると、アテナイ人は彼を受け入れず、デイダメイアをメガラへ送った。それでも王妃としての敬意をもって遇したという。この戦いにはまだ若いピュロスもデメトリオス側で参加し、敗戦後も行動をともにしたのち、デメトリオスとプトレマイオス1世の和平に際して人質としてエジプトに送られた。
デメトリオスは娘ストラトニケをセレウコスに嫁がせ、セレウコスと結んだ。そのころデイダメイアはキリキアにいるデメトリオスのもとへ向かったが、到着して間もなく病にかかり、紀元前300年に亡くなった。デメトリオスとのあいだにアレクサンドロスという息子を一人残した。プルタルコスによれば、この子は生涯をエジプトで過ごしたといい、おそらく名誉ある虜囚の身だったとされる。デイダメイアの死後、ピュロスとデメトリオスはマケドニアをめぐって争うことになった。
同じ年に亡くなった人物
- アリストクセノス (紀元前 299年)
- ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス (紀元前299年の執政官) (紀元前299年没)
- ルキウス・ウォルムニウス・フランマ・ウィオレンス (紀元前 299年(推定))
- リュシッポス (紀元前 299年)
- Aristaeus the Elder (紀元前299)
同じ地域に関係する人物
- モプスエスティアのテオドロス (428年没)
- レヴォン3世 (1289年没)
- ヨハネス2世コムネノス (1143年没)
- コンスタンティウス2世 (361年没)
- Leo IV (1341年没)