伝記
レニエ4世は、10世紀後半のロートリンゲン西部で、エノーとモンスの領有をめぐって争った貴族である。947年以降に生まれ、1013年に没した。生年は950年頃ともされ、947年から950年の間と記す説もある。父はエノー伯レニエ3世、母はアデラ(アデル)で、イタリアの記録は母をオーヴェルニュのアデルとし、モンス女伯でもあったと伝える。
父のレニエ3世は、957年にケルン大司教ブルーノの権威に公然と逆らい、958年にボヘミアへ追放された。エノー伯領は下ロートリンゲンでブルーノを補佐していたゴットフリートに与えられた。レニエ4世はそのときまだ未成年で、一家はフランスへ逃れ、フランス王の宮廷に身を寄せた。父は追放先のボヘミアで973年に死んだとされる。レニエ4世は父の旧領のうちモンスは自分のものだと主張し、名目上は958年から1013年までエノー伯の称号を帯びた。
973年、レニエ4世は弟ランベールとともに故地へ戻り、エノーを預けられていたモンス伯ルノーとヴァランシエンヌ伯ガルニエの兄弟を攻撃した。二人はペロンヌ付近の戦いで殺され、兄弟はエノーの占領を始め、ブシュドの城を包囲したとも伝えられる。この年の実効的な支配は974年までの短いものにとどまった。皇帝オットー1世の死後に即位したオットー2世は、モンス伯領をヴェルダン伯ゴットフリート1世に、ヴァランシエンヌ伯領をアルヌルフに与え、兄弟は撃退されてエノーを去るほかなかった。
976年、西フランク王ロテールの弟シャルルや、ヴェルマンドワ伯オットーの支援を得て、レニエ4世は再びエノー攻略に乗り出した。しかし新たな伯となったゴットフリート1世およびヴァランシエンヌ伯と対立し、4月19日にモンスで敗れた。事態を収めるため、オットー2世は978年にシャルルへ下ロートリンゲン公位を、レニエ4世には父が持っていた領地の一部を与えた。のちにフランス王となるユーグ・カペーや、新しい下ロートリンゲン公シャルルとの結びつきも手伝って、兄弟は赦されて故郷に戻れたという。981年には、聖マリア教会の守護者として寄進文書に署名している。それでもモンス伯領は手に入らず、取り戻せたのはゴットフリート1世が亡くなった998年になってからだった。
996年頃、フランス王ユーグ・カペーとアデライード・ダキテーヌの娘エドヴィジュと結婚した。二人の間には、のちにエノー伯となるレニエ5世のほか、ベアトリス、ランベールがいた。ベアトリスはルシー伯エブル1世と結婚し、のちにマナセ・ド・ラムリュプトとも結ばれたとされる。幼くして亡くなった娘エルメントリュードは、ニヴェルのサント・ゲルトルード参事会教会に葬られ、その墓の発掘で名前を刻んだ鉛の十字架が見つかった。1013年、夫妻はジャンブルー修道院に寄進を行い、同年にレニエ4世は亡くなった。跡は長男のレニエ5世が継いだ。
同じ年に亡くなった人物
- アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー (1013年没)
- ヒシャーム2世 (1013年没)
- アブー・バクル・バーキッラーニー (1013年没)
同じ地域に関係する人物
- シャルル3世 (モナコ公) (1889年没)
- ブシャール4世・ダヴェーヌ (1244年没)
- ジャン・ムートン (1522年没)
- モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール (1788年没)
- ジョージ・ハトソン (1914年没)