伝記
ガルシア・サンチェスは、1009年に生まれ、1029年5月13日に暗殺されたカスティーリャ伯である。1017年から1029年まで伯位にあり、独立したカスティーリャ伯としては最後の人物とされる。曾祖父にあたるのは、カスティーリャの基礎を築いたフェルナン・ゴンサレスである。父はカスティーリャ伯サンチョ・ガルシア、母はウラカ(ウラッカ)で、母は1025年に世を去ったとされる。
父の死によって、ガルシアはごく幼いうちに伯位を継いだ。生まれは1009年なので、継承したときは7歳ほどであった。若い間は、カスティーリャの有力貴族たちと、父の姉妹でコバルビアス女子修道院の院長だった叔母ウラカが摂政をつとめた。ブルゴス司教ペドロも後見に加わったともいわれる。伯領はナバラ王サンチョ・ガルセス3世の保護も受けた。サンチョ・ガルセス3世はガルシアの姉妹ムニアドナの夫、つまり義兄であり、幼い伯の利害を守るために動く必要があった。1018年にはリバゴルサ伯領を押さえ、さらにレオン王国が併合していた境界地域を取り戻そうとして、レオンにも兵を向けたと伝えられる。
ガルシアは成人に達し、1028年にレオン王アルフォンソ5世の娘サンチャとの結婚が取り決められた。サンチャはこのとき10歳であったともいわれ、アルフォンソ5世の子であり、のちのレオン王ベルムード3世の姉妹にあたるとされる。婚約が整った翌1029年、ガルシアは婚約者に会うため、サンチョ・ガルセス3世とともにレオンへ向かった。
しかし同年5月13日、レオンのサン・フアン・バウティスタ教会のそばで、ガルシアは暗殺された。結婚式のために教会へ入ろうとしたところを襲われたともいわれる。『ガルシア王子のロマンス』や後世の年代記は、この殺害を、フェルナン・ゴンサレスにアラバの所領を取り上げられたベラ家の仕業だとする。ロドリゴ・ベラとイニゴ・ベラという、追放されたカスティーリャ貴族の兄弟が実行したという説明もある。ただしベラ家が実際に手を下したことを裏づける歴史的な証拠は確認されていない。
ガルシアに子はなく、没後、カスティーリャの支配権はナバラ王サンチョ・ガルセス3世に移った。王の妃ムニアドナはガルシアの姉妹で、その権利にもとづいてのことである。1029年、王は息子のフェルナンドをカスティーリャ伯に任じた。このフェルナンドは、ガルシアの甥にあたる。のちにフェルナンドはガルシアの婚約者だったサンチャと結婚したとされる。そして1037年、カスティーリャは伯領から王国へと昇格した。独立した伯としての歴史は、ガルシアの死とともに終わったのである。20歳に満たない若さでの死であった。
同じ年に亡くなった人物
- 献哀王后 (1029年没)
- アル=カラジ (1029年)
- Kushyar Gilani (1029年没)
同じ地域に関係する人物
- フェルナンド1世 (カスティーリャ王) (1065年没)
- クリストバル・アルフテル (2021年没)
- ラミロ3世 (レオン王) (985年没)
- コンスタンサ・デ・ポルトゥガル (1313年没)
- ベルムード2世 (999年没)