HISTORICAL PERSON · 1029年没

Kushyar Gilani

カスピ海南岸ギーラーン出身のイランの数学者・天文学者。三角法の発展に関わり、天文表やインド式計算法の原理に関する算術書を著した。

生涯
1029年没
死亡地
イラク共和国(バグダード県 / バグダード)
出生地
イラン共和国(ギーラーン州)
出典
世界地図
イラク共和国(バグダード県)

伝記

クーシュヤール・イブン・ラッバーンは、10世紀から11世紀にかけて活動したイランの数学者・天文学者・地理学者である。カスピ海の南に位置するギーラーンの出身で、ギーラーニーあるいはダイラミーとも呼ばれる。ときに名に添えられるキヤーの称号は、「王者」「師」を意味する古いペルシア語の敬称で、学者にも与えられることがあった。生年は971年とされることが多いが、天文表に載せた例題の天宮図が963年から964年のものであることから、その頃の生まれを示すともいわれる。没年は1029年とされるが、1025年から1048年のあいだに、おそらくバグダードで亡くなったともされ、はっきりしない。

その生涯についてわかっていることは少ない。マーザンダラーンの支配者ヴァシュムギールの宮廷に天文学者として仕えたと伝わるが、実際には息子のカーブースに仕えた可能性のほうが高いとされる。生涯の一部はレイで過ごし、そこでビールーニーと出会ったという。993年7月6日には、火星と土星の合を観測し、計算している。1025年にはスフルジュで、主著の天文表『ジージ・ジャーミウ』を書き上げた。弟子には数学者のアリー・イブン・アフマド・アル=ナサウィーがおり、このナサウィーは、師が1048年にはすでに亡くなっていたと述べている。ジュルジャーニーは、クーシュヤールの親族に会い、いくつかの書物を見たうえで、彼が文章をゆっくりと、きわめて丁寧な字で書いたと伝えている。

主な仕事は11世紀の初めごろになされたとみられ、三角法の発展に重要な役割を果たしたとされる。10世紀のアブー・ワファーの研究を受け継ぎ、天文表のなかでその内容に多くの紙幅を割いた。天文表は主にプトレマイオスの天文学に拠っており、バッターニーの『サービアン天文表』の影響も明らかである。三角関数の表も含まれる。現存する著作はすべてアラビア語で書かれており、『インドの計算法の原理』『アストロラーベの書』『占星術入門』『ジージ・ジャーミウ』(包括的な天文表)、『ジージ・バーリグ』(円熟した天文表)などがある。ただし『ジージ・バーリグ』は一章しか残っておらず、ほかのシンドヒンド系の天文表と似た点があるとされる。占星術入門は『ムジュマル・ウスール』の名でも呼ばれる。

数学書『インドの計算法の原理』は、十進法による計算を扱った現存最古級の論考の一つである。六十進法は表にだけ用いられる。ゼロを知っていたが小数点は使わず、平方根や立方根の求め方、九去法も述べている。この書はアラビア語とヘブライ語の写本が残り、ヘブライ語版は15世紀にオスマン帝国による征服のあと、イスタンブールでシャロム・ベン・ヨセフ・アナビが作ったとみられる。1963年には英語に訳された。占星術の手引きも広く読まれ、ペルシア語、トルコ語、中国語の写本として伝わっている。天文表も、11世紀のうちにペルシア語へ訳された。

中世からルネサンスのキリスト教世界のヨーロッパでは、クーシュヤールはほとんど知られていなかった。近世になって、オランダの東洋学者ヤコブ・ゴリウスなどの写本収集家を通じて初めて作品に触れられ、ゴリウスは天文表の暦に関する部分を詳しく研究した。18世紀にはミゲル・カシリが占星術の手引きに言及し、クリスティアン・ルートヴィヒ・イーデラーは伝記的な情報を集めて、天文表の一部を校訂・翻訳し、注釈を付けた。

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