伝記
リンドスのカレスは、ロドス島のリンドスに生まれたギリシアの彫刻家である。紀元前305年より前に生まれ、紀元前280年ごろに没したとされる。リュシッポスの弟子で、青銅の鋳造に携わる職人でもあった。代表作は、ロドスの守護神である太陽神ヘリオスをかたどった巨大な青銅像、ロドス島の巨像である。生涯についてはごくわずかしか知られていない。
巨像は、紀元前305年ないし304年にマケドニアのデメトリオス・ポリオルケテスが率いて攻め寄せた包囲に、ロドスが耐え抜いたことを記念して造られた。ロドス人は、デメトリオスが残した攻城兵器を売って費用にあて、その額は300タレントに達したと伝えられる。工事には12年かかったとされ、すぐに着手したとすれば紀元前292年に完成したことになる。一方で、完成を紀元前282年とする説もあり、年代は一致しない。台座の献辞の詩は、危機を乗り越えた感謝として建てたことを示し、自由の光がこの像によって海上だけでなく陸の上にも輝いていると歌っている。
像の高さは60キュビトとも70キュビトともいわれる。彼の作とする根拠として、ストラボンが伝える、リンドスのカレスが作ったと読める短い詩がある。ただし、その詩を作者銘とみなすことには疑いも出されている。立つ場所について詳しいことは分かっておらず、両脚を広げて港の入口にまたがり、灯台を兼ねていたという近代のイメージは、献辞の誤読に基づくものとされる。巨像は長くは立たなかった。同じ世紀のうちに地震で倒れ、紀元前226年のことともされる。巨大な残骸は片づけられずに残り、後の世代は、重しの岩が見える巨大な空洞や、たいていの像より大きな指に驚嘆した。親指は背の高い男でも両腕で抱えきれなかったという。壊れた姿でも世界の七不思議に数えられ、彼の最大の業績とみなされた。
最期については伝承が分かれる。セクストス・エンペイリコスによれば、カレスはまずロドス人の求めに応じて見積もりを出したが、倍の大きさの像の見積もりを求められると、金額を単に二倍にした。受注したものの資金がすぐに尽き、恥じて自ら命を絶ち、その後に職人たちは、最初の額を八倍にすべきだったと悟ったという。別の伝えでは、像を完成させた直後に、世間の評価の低さに失望して自殺したという。また彼は、像が完成する前に死んだとも、仕事を同じリンドス出身のラケスが完成させたともいわれる。ほかに、巨大な頭部の像も彼の作とされる。この頭部はローマに運ばれ、紀元前57年に執政官プブリウス・レントゥルス・スピンテルがカピトリウムの丘に奉納した。彼はロドス彫刻派の創始者とみなされることもある。後世には、L・スプレイグ・ド・キャンプの小説『ロドスの青銅の神』が彼の回想録の形で書かれ、1961年の映画『ロドスの巨像』にも登場する。2007年に発見された小惑星にも、その名がつけられている。
同じ年に亡くなった人物
- Ariarathes II of Cappadocia (紀元前279)
- リュコプローン (紀元前279)
- ヒッパルキア (紀元前 279年)
- プトレマイオス・ケラウノス (紀元前279年没)
同じ地域に関係する人物
- ロドスのメントル (紀元前309年没)
- Praxagoras (紀元前300)
- Patriarch Neophytus VI of Constantinople (1747年没)
- コスのフィリタス (紀元前360)
- アゴラクリトス (紀元前500)