伝記
ウダヤディティヤヴァルマン2世は、1050年から1066年までアンコール王国を治めた王である。即位は1049年あるいは1050年ともされ、1066年に没した。先王スールヤヴァルマン1世の跡を継いだが、その実子ではないともいわれる。ヤショーヴァルマン1世(在位899年から910年)の妃の系統に連なるとされ、スールヤヴァルマン1世の大甥とする説明もある。一方で、スールヤヴァルマン1世の子、あるいは近い親族だったとする記述もあり、出自ははっきりしない。
戴冠したとき、王はまだ子供だったとされる。そのため、聖職者のジャエンドラパンディタと将軍サングラーマが摂政の役目を引き受け、サングラーマは国が分裂するのを防いだという。治世には各地で反乱が起こり、1051年と1065年の企ては、いずれも将軍サングラーマによって鎮圧された。反乱は血を流して抑えられたとも伝えられる。その一方で、王国の領土は広がり、新しい寺院や都市の建設が盛んに進められたともいわれる。
王の大きな事業は寺院の建設である。首都の中心にバプーオン寺院を築き、シヴァ神をたたえた。ただし、彫刻の一部は仏陀に捧げられている。バプーオンは、のちに仏教の礼拝の場に変えられたともされる。また、西バライと呼ばれる貯水池の工事を完成させ、その中央に土を盛り上げた島、西メボンを造った。
この治世には、現在のタイのアランヤプラテート近くにスドック・カック・トム寺院も建てられた。寺院にあった灰色の砂岩の石碑は、高さ1.51メートルで、歴代のクメール王の系譜を詳しく刻んでいる。碑文は1053年のものとされ、約250年にわたるシヴァ派の高位の聖職者の家系の歴史と、王家の系譜、重要な出来事、王国の習俗を伝え、クメール碑文学の基本史料となっている。石碑は現在、バンコクの国立博物館に収められている。
ウダヤディティヤヴァルマン2世は1066年に亡くなり、弟のハルシャヴァルマン3世が王位を継いだ。死後の名は知られていない。この王を、弱く頼りにならない放縦な君主で、治世にはヒンドゥー教徒と仏教徒の争いが絶えなかったと評する説もある。
同じ年に亡くなった人物
- トスティ・ゴドウィンソン (1066年没)
- レオフウィン・ゴドウィンソン (1066年)
- エドワード懺悔王 (1066年没)
- エリザヴェータ・ヤロスラヴナ (1066年)
- アフマド・バイハキー (1066年没)
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