伝記
トレドのアル・マアムーンは、1043年から1075年までトレドのタイファ王国を治めた君主である。本名はヤフヤー・イブン・イスマーイールで、ベルベル人のハッワーラ族に由来するズンヌーン朝に属した。父イスマーイール・アル・ザーフィルはトレド王国の初代の王であった。1043年に父が死去すると、兄弟の一人の反対を受けながらも王位を継ぎ、父と同じく王国の独立を保とうとした。
1062年にはレオン王フェルナンド1世と同盟し、臣従を誓った。しかしフェルナンドがバレンシアを包囲した際には、そこで支配していた娘婿に軍事援助を与えた。レオン王が病気のため包囲を解かねばならなくなると、この機会を利用して自らバレンシアを手に入れた。以後その王国はトレドに従うことになった。1069年には、かつてのカリフの都コルドバを掌握しようとしたが、同市はセビリア王アル・ムウタミドの援助を受けたため、この試みは成功しなかった。
フェルナンド1世の死後、その息子たちは遺領を争った。1072年、レオンの王位を兄弟のカスティーリャ王サンチョ2世に奪われたアルフォンソ6世を、アル・マアムーンはトレドの宮廷に迎えた。二人の間には親交が生まれ、同年サンチョが死去し、アルフォンソがレオンとカスティーリャの王位を得た後も、その結び付きは続いた。アル・マアムーンは死ぬまで、アルフォンソの軍事行動を支える同盟者であった。後にアルフォンソはトレドを征服するが、亡命中の滞在によって地形や弱点を知ったことが役立ったともいわれる。
統治するトレドは、1031年の後ウマイヤ朝カリフ政権崩壊後に分かれた諸国のなかでも繁栄した王国の一つだった。宮廷には医師イブン・アル・バグーニーシュ、植物学者イブン・アル・ワーフィド、天文学者アリー・イブン・ハラフやザルカーリーらが集まった。コルドバへの進出も再び試み、1074年とも1075年ともいわれる時期に、その支配をセビリアから奪った。失脚したセビリアの人物の助力があったとされる。ただし新たな都市の支配は長くは続かず、1075年6月、コルドバで毒殺されたといわれる。
トレドの王位は孫アル・カーディルが継いだ。息子アブー・ナスル・アル・ファトフはコルドバを治め、その妻ザイダはのちにキリスト教へ改宗し、アルフォンソ6世との間にサンチョを産んだ。トレドの聖女カシルダもアル・マアムーンの娘とも姉妹ともいわれる。アルフォンソ6世は1085年にトレドを征服した。かつて亡命者として迎えられた王が、アル・マアムーンの死から十年後に、トレドの新たな支配者となったのである。
同じ年に亡くなった人物
- Richeza of Poland, Queen of Hungary (1075年没)
- エルンスト (オーストリア辺境伯) (1075年没)
- オットカール1世 (シュタイアーマルク辺境伯) (1075年没)
- アンノ2世 (1075年没)
- カーイム (1075年没)
同じ地域に関係する人物
- ムハンマド1世 (後ウマイヤ朝) (886年没)
- ハカム1世 (822年没)
- ハスダイ・イブン・シャプルト (970年代没)
- アリー・イブン・ハムード・アル=ナースィル (1018年没)
- アブー・アル=カースィム・アッ=ザフラウィー (1013年没)