伝記
アブー・ウバイド・バクリーは、一〇一四年ごろにアンダルスで生まれた地理学者、歴史学者である。本名はアブドゥッラー・ブン・アブドゥルアズィーズといい、バクリーの呼称は所属する部族に由来する。父アブドゥルアズィーズは後ウマイヤ朝の解体に伴い、ウエルバとサルテスを治める小国の君主となった。だが一〇五一年から翌年にかけて、セビージャのムウタディドの圧力で領土を引き渡し、小国は併合された。バクリーは父とともにコルドバへ移ったとされる一方、セビージャへ退いたという説もある。アンダルスで幅広い教育を受け、地理学者ウズリーや歴史学者イブン・ハイヤーンらに学んだ。のちにアルメリーアの君主ムウタスィムの宮廷に仕え、生涯の多くを同地で過ごした。
一〇六八年に『諸道と諸国の書』を完成させた。都市、住民、経路、地方を記すこの地誌では、地形、気候、主要都市だけでなく、人々の習慣、政治や経済、各地の逸話までを扱った。著者自身が記述した諸地域を旅したのではなく、活動はイベリア半島内にとどまっていたとみられる。遠方については、先行する著作や文書、商人、旅行者の報告を集めて書いた。利用した情報の一つはムハンマド・ブン・ユースフ・ワッラークのもので、十世紀の知識を受け継ぐ一方、執筆時に近い新たな出来事も記した。内容はアンダルス、マグリブ、イフリーキヤ、スーダンなどに及び、イドリース朝やムラービト朝の起源にも情報を残した。
とりわけ西アフリカについて、ガーナ帝国や十、十一世紀のサハラ越え交易を記したことは、この著作の大きな特徴である。ニジェール川沿いの町や村では、まだイスラム教が広く受け入れられておらず、ガオは現地のイスラム教徒が住む数少ない町の一つだったと述べた。ガオとガーナ以外にも、大河が大きく曲がる地域に交易の中心地があった。こうした場所についての報告が十一世紀のアンダルスへ届き、地誌の記述となった。また、ユダヤ人イブラーヒーム・ビン・ヤアクーブ・トゥルトゥーシーの報告を用いて、十世紀のスカンジナビアやスラヴ人についても書いた。地理上の関心はイスラム世界の西部だけに限られていなかった。
一〇六九年から翌年にかけては、別の地名辞典を完成させた。これはアラビア半島を中心に、イスラム以前の詩、クルアーン、ハディースに現れる地名を集め、地理、歴史、系譜、言語に関する説明を加えたものである。一〇七九年にはセビージャに滞在し、エル・シッドがアルフォンソ六世からの贈り物を携えて来た時にも当地にいた。複数の小王国の宮廷と関わる一方、言語学、文学、宗教、植物学にも著述の範囲を広げた。アルカーリーの著作への注釈や訂正、詩やアラブの伝承に関する仕事を行い、詩作もした。写本を上質な布で包んで大切に保管する愛書家でもあった。
ムラービト朝がアンダルスへ介入し、小王国の支配者たちを次々と退けるころまでに、著作の多くを書き上げていた。後年はコルドバに住み、一〇九四年の十月から十一月にかけて死去した。著作の多くは失われ、植物を扱った書物も伝わらないが、後代の植物学者イブン・バイタールらに利用された。部分的に残った『諸道と諸国の書』は、アラビア語圏で数世紀にわたり読み継がれた。
同じ年に亡くなった人物
- ニケフォロス (1094年没)
- アル=ムスタンスィル・ビッラー (1094年没)
- アルムクタディー・ビ・アムリ・アッラーフ (1094年没)
- アク・サンクール・アル=ハジブ (1094年没)
- バドル・アル=ジャマーリ (1094年没)
同じ地域に関係する人物
- アブド・アッラー (後ウマイヤ朝) (912年没)
- エウロギウス (859年没)
- Juan Bautista Rico (1613年没)
- ムハンマド1世 (後ウマイヤ朝) (886年没)
- イブン・ハイヤーン・クルトゥビー (1076年没)