HISTORICAL PERSON · 1097年没

献宗 (高麗王)

第14代高麗王(在位1094〜95年)。宣宗の長男で、11歳で即位して母の思粛太后が摂政となったが、政変で鶏林公(後の粛宗)が実権を握り、同年に譲位して14歳で死去した。幼い頃から糖尿病を患っていた。

生涯
1097年没
死亡地
—
出生地
李氏朝鮮(江原道 / 朝鮮)
出典
世界地図
李氏朝鮮(江原道)

伝記

献宗は、高麗の宣宗と思粛王后李氏の長男として、1084年に生まれた。姓は王、名は昱である。母は仁川李氏の出身で、工部尚書の李碩の娘であった。父方の祖父は文宗、祖母は仁睿王后であり、母の思粛王后にとっても仁睿王后はおばに当たる。献宗の出生地は開城とされる。誕生日は8月1日とされるが、6月の出生ともいう。幼少時には聡明で、9歳ですでに文章に優れていたという。一方で幼いころから糖尿病を患っていたともいわれる。父の宣宗が1094年6月に死去すると、その意思に従って幼い王子が王位を継ぎ、高麗の第14代の王となった。即位時の年齢は数え年で11歳に当たり、自ら政務を執るには幼かったため、母が思粛太后として摂政を務めた。

幼王を支えたのは母と外戚の仁川李氏であり、太后の摂政のもとで一族が権勢を握った。しかし、王位継承に対する王族の不満は残っていた。高麗では、王に男子がいてもその子が幼少ならば、王の弟が次の王となる慣習があった。宣宗の弟たちは、幼い甥が即位したことに不満を持ち、そのなかでも鶏林公が継承の有力候補であった。献宗の即位は父の意向に沿ったものだったが、叔父たちの支持を得た安定した継承ではなかった。太后の政権基盤も弱く、献宗の病と合わせて王位を不安定にする条件となった。即位した年には李資義の反乱が起きたが、これは速やかに鎮圧されたという。母の摂政が続いた期間は短く、王族と外戚をめぐる争いのなかで王権の行方が決まっていった。

1095年には政変が起こり、鶏林公が反対勢力を排除して実権を掌握した。同年、献宗は病のために叔父へ王位を譲ったとされ、鶏林公が粛宗として即位した。献宗は退位後に後宮へ移り、1097年に開城で死去した。満年齢では13歳、数え年では14歳であった。没日は11月6日とされ、10月に死去したともいう。諡号は恭殤定比懐孝大王である。王妃がいなかったとも、晋州蘇氏の懐純王后を妻としたともいわれるが、婚姻の有無は確かではない。子はなかった。葬地については隠陵ともされるものの、その所在地は明らかになっていない。

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