HISTORICAL PERSON · 紀元前204年没

アルシノエ3世

プトレマイオス朝の女王。ラフィアの戦いに自ら軍を率いて参加するなど政治に積極関与したが、後に廷臣らのクーデターで暗殺された。

生涯
紀元前204年没
死亡地
—
出生地
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア県 / アレクサンドリア)
出典
世界地図
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア県)

伝記

アルシノエ3世は、プトレマイオス朝エジプトの女王である。紀元前246年または紀元前245年に生まれ、紀元前204年に没した。プトレマイオス3世とベレニケ2世の娘で、紀元前220年から紀元前204年まで女王の位にあった。「ピロパトル」、すなわち「父を愛する者」の称号で呼ばれ、ユスティヌスはエウリュディケ、リウィウスはクレオパトラの名で彼女を記している。

母ベレニケは、キュレネのマガスとアパマの娘である。アルシノエは、エジプトの慣習にならってプトレマイオス朝が取り入れていた近親婚により、弟のプトレマイオス4世と結婚した。その時期は紀元前220年10月末から11月初めとも、ラフィアの戦いのあとの紀元前217年10月ともいわれる。ふたりの間には、のちのプトレマイオス5世が生まれた。彼女は、弟である夫の子を産んだ最初のプトレマイオス朝の王妃とされ、夫と共同で統治したともいわれる。

紀元前217年、セレウコス朝のアンティオコス3世がパレスチナに侵入し、エジプトを攻める構えを見せた。アルシノエは夫とともにエジプト軍に従い、同年6月、パレスチナのラフィアで戦った。エジプト側は5万5千の兵、アンティオコス側は6万8千の兵だったとされ、アルシノエは歩兵の密集隊の一部を指揮したかもしれないという。戦況が悪くなると、彼女は兵の前に現れ、家族を守るために戦えと励まし、勝てば一人につき金2ミナを与えると約束した。エジプト軍は勝利を収めた。彼女の激励が勝利に大きく寄与したと伝えられる。

アルシノエは政治にも積極的に関わったが、それは有力な大臣ソシビオスが許す範囲にとどまったとされる。腐敗しつつあった宮廷の改革に取り組む姿勢を見せたものの、夫が消極的であったため成功しなかった。プトレマイオス4世は愛人アガトクレイアとその兄の大臣アガトクレスに政務を任せ、酒や女に溺れたという。アルシノエは夫の振る舞いに反対したが、政治的にはどうすることもできなかったとされる。

紀元前204年の夏、プトレマイオス4世が亡くなった。アガトクレスとソシビオスは、アルシノエが摂政の座を得ることを恐れ、夫の死を知る前の彼女をピラモンに殺させ、摂政の地位を自分たちのものにしたとされる。ポリュビオスはソシビオスが暗殺を命じたと記し、ピラモンはアガトクレスから褒賞としてキュレナイカの統治を与えられたという。夫の命によるとする伝えもある。葬儀では王と王妃の骨を納めた二つの骨壺が示されたが、王妃の壺には香料があっただけだったともいう。のちに民衆の反乱が起こり、アルシノエの友人たちはピラモンの家に入り、その一族ともども殺したと伝えられる。エラトステネスは王妃の回想録『アルシノエ』を著したが、失われている。大理石と青銅の胸像が残っている。

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