伝記
エウテュデモス2世は、中央アジアのグレコ・バクトリア王国の王で、バクトリア王デメトリオス1世の子とされる。生年は知られていない。統治の時期については、紀元前185年から180年とも、紀元前180年ごろから171年ごろまでともいわれ、さらに紀元前190年から紀元前178年ごろとする説もあって一定しない。エウテュデモス家の最後の支配者とされ、甘粛の王とされるシウトゥ(休屠)と関係があった可能性も指摘されている。
王位に就いた経緯も確定していない。父デメトリオス1世の死後に王となったとも、父の存命中にその副王、共同統治者となったともいわれる。父がインドへの軍事遠征に出たとき、王国の中心バクトリアにとどまって共同王となったのが紀元前185年ごろだったとする説明がある。ただし、まだ若年だったため、その役割は名目的なものにとどまったとみられている。
その根拠は貨幣にある。彼の貨幣には、ごく若い少年の姿で肖像が表されている。このことから、彼は非常に若くして世を去ったと推定されている。貨幣の様式や、希少なニッケル合金の使用は、アガトクレスのものと近く、二人はほぼ同じ時期の王とみられるが、両者の正確な関係はわかっていない。エウテュデモス2世、パンタレオン、アガトクレスは、古代の王のなかで銅とニッケルの合金の貨幣を鋳造した、数少ない王である。この合金は鋳造の温度が当時の炉には高すぎたため、貨幣は孔の多いものになった。
兄弟との関係についても説明が分かれる。デメトリオス1世の死後、バクトリア、ソグディアナ、マルギアナなどの地域を兄弟たちと分け合い、バクトリアを得たとする記述がある。この時期には漢との通商や文化の交流が進んだとも語られる。彼の単独の統治は1、2年ほどと短かったとされ、死因は不明である。何らかの騒乱で命を落としたとも、病死などの自然死だったともいわれ、その騒乱にはアガトクレスが関わっていた可能性も取りざたされている。後を継いだのは、デメトリオス1世のもう一人の子であるアガトクレスだとされる。弟のデメトリオス2世が後を継いだとする説もある。
同じ年に亡くなった人物
- ガイウス・ポピッリウス・ラエナス (紀元前 200年(推定))
- クィントゥス・ファビウス・ピクトル (紀元前 200年)
- カーラヴェーラ (紀元前 200年(推定))
- モスコス (紀元前 200年(推定))
- クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ (紀元前174年の執政官) (紀元前 200年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ダレイオス3世 (紀元前330年没)
- デメトリオス2世 (紀元前160)
- サブク・ティギーン (990年代没)
- アルスラーン・イスラーイール・イブン・セルジューク (1032年没)
- アンティマコス1世 (紀元前160)