伝記
アンティマコス1世テオスは、グレコ・バクトリア王国の王の一人である。インドではアンティマカの名で知られ、在位はおおよそ紀元前185年から前170年とされる。「テオス」は「神」を意味する添え名で、貨幣にはギリシア語で「神なる王アンティマコスの」という銘が刻まれた。
出自については研究者の見方が分かれる。タルンと貨幣学者ロバート・シニアは、彼をエウテュデモス朝の一員で、おそらくエウテュデモスの子、デメトリオスの兄弟とみる。これに対してナレインら他の歴史家は、エウテュデモス朝の権威からは独立した人物で、おそらくディオドトス朝と何らかの関係のある家系の出だと考える。支配した地域はバクトリアの一部と、おそらくは現在のアフガニスタン南部のアラコシアにも及んだ。簒奪者エウクラティデスに抵抗して敗れたか、あるいは死後に主要な領土をエウクラティデスに吸収されたとされる。
皮に書かれた税の領収書が、バクトリアで一点発見されている。この文書で彼は自分の共同王の名を挙げており、エウテュデモスやデメトリオスに任じられた北方の共同統治者だったとする説に不利な材料になるとされる。エウメネスとアンティマコスという二人の名が彼の後継者だった可能性もある。プトレマイオス朝やセレウコス朝の王が子を共同統治者に加えるのは通例だった。エウメネスは貨幣を発行しなかったが、のちにインドに現れた王アンティマコス2世ニケフォロスは、1世の子だった可能性が高いと考えられる。ただし、このインドでの治世が父のバクトリアでの治世と重なっていたかどうかははっきりしない。皮に書かれたもう一つの文書は彼の治世に言及しており、それまで知られていなかったバクトリアの都市アンフィポリスの名が見える。マケドニア北部の有名な都市にちなんだ名とみられ、バクトラ近くの北アフガニスタンで見つかった。
アンティマコス1世はアッティカ基準の銀貨を数多く発行した。表には、マケドニア風の平らな帽子カウシアをかぶった自身の肖像が、裏には三叉の矛を持つポセイドンが刻まれている。ポセイドンは海と大河の神であり、インダス川流域の諸州と結びつけてみる学者もいる。彼はそこで総督を務めていたのかもしれない。ただ、ポセイドンは馬の守護神でもあり、内陸のバクトリアではこちらのほうが重要だったかもしれない。
貨幣の上で自らを「神」と称したのは、ヘレニズム世界で初めてだった。同僚のアガトクレスと同じく記念貨幣も発行し、「神」と呼ばれたエウテュデモス1世と、「救済者」と呼ばれたディオドトス1世をたたえる銀のテトラドラクマ貨を出した。このことから、彼が王の国家祭祀をつくる上で大きな役割を果たした可能性が指摘される。さらに、表に象、裏に勝利の女神ニケが花輪を差し出す姿を描いた円形の青銅貨も発行した。象は仏教の象徴だったかもしれない。この貨幣はデメトリオス1世やアポロドトス1世のものを思わせる。また、粗い四角形の青銅貨には歩く象と雷電が描かれ、アラコシアのものとされる。デザインはインド風だが、銘文はギリシア語だけである。
同じ年に亡くなった人物
- ガイウス・カッシウス・ロンギヌス (紀元前96年の執政官) (紀元前 160年(推定))
- アルタクシアス1世 (紀元前160年没)
- デメトリオス2世 (紀元前160)
- Shanakdakhete (紀元前160)
- Nicomedes II of Bithynia (紀元前160)
同じ地域に関係する人物
- ダレイオス3世 (紀元前330年没)
- エウテュデモス2世 (紀元前200)
- アルスラーン・イスラーイール・イブン・セルジューク (1032年没)
- アンワリー (1189年没)
- デメトリオス2世 (紀元前160)