伝記
エラトステネスは、ヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者である。生年は紀元前275年、あるいは276年とされ、没年は紀元前194年である。アレクサンドリア図書館を含む研究機関ムセイオンの館長を務め、文献学、地理学をはじめ多岐にわたる分野で業績を残したが、とくに数学と天文学で後世に残る成果をあげた。地球の大きさを初めて測定した人物として、また素数を求める手法であるエラトステネスの篩を考案したとされる人物として知られる。
現在のリビアにあるキュレネに生まれた。父の名はアグライオスと伝わり、幼い頃から教育を受け、同地の体育場で読み書きや算術、詩、音楽などを学んだと考えられている。その後アレクサンドリアで教育を受け、紀元前260年代の終わり頃にはアテネへ出て、数年から二十年ほどにわたり学び、書き物もした。ストラボンによれば、ストア派の創始者キティオンのゼノンに学んだが、ゼノンは彼の到着後まもなく没したという。ほかにも複数の師の名が挙がり、プラトンのアカデメイアの当時の学頭アルケシラオスにも学んだとされる。後の数学上の仕事は、そこで数学の訓練を受けたことを示唆している。またアルキメデスの親しい友人で、アルキメデスの著書『方法』はエラトステネスに宛てて書かれている。
紀元前255年ごろには初の天球儀を作った。紀元前236年、プトレマイオス3世によってロドスのアポローニオスの後任としてアレクサンドリア図書館の館長に任じられ、少なくとも紀元前204年までその地位にあった。その広い学識から、崇拝者たちは五種競技の選手にちなんで「ペンタスロス」と呼んだ。その業績から「第2のプラトン」とも呼ばれた。一方で、あらゆる分野で二番手だったとして「ベータ」と呼び、嘲る者もいたという。この呼び名は、世界で2番目に物事をよく知っている人という意味でもあったとされる。彼はエジプトとペルシアの記録を用いて、トロイア戦争の主要な出来事の年代を推定したともされる。ストラボンは、彼を地理学者の中では数学者、数学者の中では地理学者だと評した。
最も有名な業績は地球の大きさの測定である。これは経緯度を用いて距離を正確に表そうとした地図作りに端を発する。図書館で得た膨大な情報をもとに世界地図の改良を試み、ロドスを基準に主要な緯線と経線を引いた。この地図は古代において長く高い権威を持った。彼は、シエネ(現在のアスワン付近)では夏至の日に陽光が井戸の底まで届くと知り、地球の大きさを計算できると気づいた。アレクサンドリアで夏至の正午に立てた棒と影の作る角度をシエネとの緯度の差とみなし、二つの町の距離が地球大円の50分の1にあたることを確かめた。クレオメデスによれば、その距離を5000スタディアと見積もり、全周を250,000スタディアと求めた。他の多くの著者は252,000スタディアという値を伝えている。スタディオンの長さは時代や場所によって異なるため、現在の単位での値は断言できない。ただ、地球が球体で太陽光が平行だという前提のもとで、この推論は幾何学的に正しく、精度の範囲内で得られた値もほぼ正しいものだった。
紀元前195年ごろには目が不自由となり、翌年アレクサンドリアで82歳で没した。食を絶って自殺したといわれている。その名は月のクレーターや小惑星にも残っている。
同じ年に亡くなった人物
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