伝記
サキは、本名をヘクター・ヒュー・マンローといい、1870年12月18日に当時英領インドの一部だったビルマ(現在のミャンマー)のアキャブで生まれたイギリスの小説家である。オー・ヘンリーと並ぶ短編の名手で、ブラックユーモアの強い、意外な結末をもつ作品を得意とした。父チャールズ・オーガスタスはインド警察の監察官を務めたスコットランド系の人物で、母メアリー・フランシスは海軍少将の娘であった。2歳のとき、母が妊娠したため、母子4人でイギリスに帰省し、デヴォン州ピルトンの父方の祖母と2人の叔母のもとに滞在していた際、母が牛に突かれて流産し、まもなく死去してしまう。そうした事情もあり、姉と兄とともに祖母と叔母に引き取られた。
厳格で清教徒的な家庭で、家庭教師に教えられ、やや内向きに育った。叔母たちは、彼の登場人物のモデルになったとされ、とりわけ「物置部屋」の叔母は、姉エセルによれば叔母のオーガスタの肖像にほぼ完璧に似ていた。12歳でエクスマスのペンカーウィック校に、ついでベドフォード校の寄宿生として学んだ。1887年に退職した父がビルマから戻ると、父とともにヨーロッパ各地を旅してまわった。1893年に父にならってインド警察に入り、ビルマに配属されたが、熱病を繰り返し、わずか15か月で帰国した。なお、ジョージ・オーウェルもほぼ30年後に同じ職に就いている。
1896年にロンドンに出て、書くことで生計を立てようと決めた。『ウェストミンスター・ガゼット』や『デイリー・エクスプレス』、『モーニング・ポスト』などの新聞に記事を書いた。1900年には、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を範にして書いた歴史書『ロシア帝国の興隆』を、本名で出版したが、やや失敗に終わった。同じ1900年に、風刺画家のフランシス・カラザーズ・グールドとの共作『ウェストミンスターのアリス』で、初めてサキの筆名を用いた。この連作は、当時の政治家を風刺し、自由党系の『ウェストミンスター・ガゼット』に載った。1902年から1908年は『モーニング・ポスト』の特派員としてバルカン、ロシア、ワルシャワ、パリへ赴き、ロシアでは1905年の革命を目撃した。その傍らで短編小説を執筆し、1904年に『レジナルド』が出た。1908年にロンドンへ戻って腰を落ち着け、執筆を続けた。
筆名の「サキ」は、『ルバイヤート』に登場する給仕に由来すると言われるが、南アメリカに生息する猿のサキに由来するという説もある。代表的な短編に「開いた窓」、「トバモリー」、「話し上手」、「スレドニ・ヴァシュター」、「狼少年」などがある。短編集には『クローヴィス年代記』(1911年)、『獣と超獣』(1914年)などがある。オー・ヘンリーの短編が庶民的で情緒的なのに対し、サキは貴族的で冷笑的な傾向を持ち、残酷な作品も多い。
第一次世界大戦が始まると、すでに43歳で規定の年齢を過ぎていたが、士官の任命を断り、一介の騎兵として軍に志願した。のちに軍曹勤務伍長にまで昇級し、1916年にフランスの前線で命を落とした。煙草の煙で敵に居場所が知られるのを恐れて、「その煙草を消してくれ」と言ったのが最後の言葉で、その直後にドイツ軍の狙撃兵に頭を撃たれたと伝えられる。1916年11月14日没。
同じ年に亡くなった人物
- ジェームズ・コノリー (1916年没)
- ショーレム・アレイヘム (1916年没)
- ジョージ・バターワース (1916年没)
- オスカル・バックルンド (1916年没)
- グリゴリー・ラスプーチン (1916年没)
同じ地域に関係する人物
- ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯) (1330年没)
- ジュール・ヴェルヌ (1905年没)
- ジョン・ベイリャル (スコットランド王) (1314年没)
- フロリス4世 (ホラント伯) (1234年没)
- ガブリエル・ノーデ (1653年没)