HISTORICAL PERSON · 1173年没

トゥデラのベンヤミン

12世紀に地中海沿岸から中東・北アフリカを旅し、各地のユダヤ人社会や町の様子を記録した旅行記を残した中世ユダヤ人地理学者。

生涯
1173年没
死亡地
カスティーリャ連合王国(カスティーリャ王国)
出生地
スペイン王国(ナバラ州 / トゥデラ)
出典
世界地図
カスティーリャ連合王国(ナバラ州)

伝記

トゥデラのベンヤミンは、ユダヤ人のラビで、12世紀に地中海沿岸から西アジア、北アフリカまでを旅し、旅行記を残した人物である。1130年ごろ、イベリア半島北部のナバラ王国のトゥデラに生まれた。初期の経歴はほとんど分かっていない。ムラービト朝とムワッヒド朝がユダヤ人を迫害していた時代であった。1165年ごろに旅に出たとされ、1159年に出発したとする説もある。旅の目的は、商いか聖地巡礼か、そのどちらかだったとも、各地のユダヤ人共同体を訪ね、迫害を逃れた人々のための宿泊や道筋の目録をつくろうとしたとも、染色の職人であったとも、宝石の商人であったとも、スペインのユダヤ人共同体に派遣されたともいわれ、決まった説はない。彼は最短の道ではなく「長い道」を選び、しばしば足を止めて人々と交わり、各地のユダヤ人の人口を数えた。

旅はまず、故郷トゥデラからアラゴンの主都サラゴサへ向かい、エブロ川を下って、タラゴナ、バルセロナ、ジローナを訪れた。フランスに入ってマルセイユから船に乗り、ジェノヴァ、ルッカ、ピサを経てローマに着いた。続いてギリシアのコリント、テーバイ、サロニカを訪れ、海路でコンスタンティノープルへ行き、サモス島、ロードス島、キプロス島をまわった。ローマ以後の各都市では、ユダヤ人の人口を記録しており、ローマは200人、テーバイは2000人、サロニカは500人であった。パレスチナではアンティオキア、ベイルート、シドン、ティルス、アクレ、ハイファ、サマリア、ナブルスをめぐった。エルサレムに着いた年ははっきりしないが、一般には1167年とされる。嘆きの壁やシオン山を訪れ、十字軍が支配していたエルサレムについて、もっとも詳しい記録を残したユダヤ人とされる。ベツレヘム、ヘブロン、ラムラ、ヤッファ、ティベリアなどもめぐり、北メソポタミアからバグダードに達した。モースル郊外の廃墟を訪れ、古代都市ニネヴェの遺跡をもっとも早く正確に描いた人物のひとりとなった。そのあとペルシアへ行き、アラビア半島を横断し、エジプトと北アフリカを訪れて、1173年にイベリア半島に戻り、同じ年にカスティーリャ王国で没した。

旅で訪れた都市は300を超える。彼は旅行記をヘブライ語で書き、これは『ベンヤミンの旅行記』と呼ばれる。ユダヤ人共同体を中心に、町や国の人口、共同体の指導者の名、地元のユダヤ人と非ユダヤ人の習慣、重要な建物や市場、街道沿いの目印などを細かく記している。大麻を吸う習慣や、シーア派イスマーイール派の暗殺教団のことも記録した。歴史学者はおおむね信頼できる情報源とみるが、先行する著作家の記述に頼っているとの批判もあり、ダンとカエサレア・ピリピなどの取り違えが指摘されている。旅行記はラテン語に訳され、のちに主要なヨーロッパの言語に訳された。1543年にコンスタンティノープルで初めて出版され、1556年にはフェラーラで別の版が出た。ルネサンス期の研究者に再評価され、1840年から1841年にアシェル、1907年にアドラーが校訂本を出した。日本語訳は、1990年から1991年にかけて関谷定夫が行った。19世紀のロシア系ユダヤ人作家メンデレ・スフォリムは、この旅行記に触発されて、1878年に『ベンヤミン3世の放浪記』を書いた。

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