伝記
アグネス・フォン・エスターライヒは、バーベンベルク家の出で、ハンガリー王妃となり、のちにケルンテン公妃となった女性である。生まれは1151年とも1154年ともいわれる。父はオーストリア公ハインリヒ2世、母は東ローマ皇帝マヌエル1世の姪テオドラ・コムネナで、その長女だった。名は、父方の祖母アグネスにちなむ。生まれたとき、父はオーストリア辺境伯でバイエルン公だった。1147年に第2回十字軍に加わり、帰途にテオドラと結婚した。1156年に皇帝フリードリヒ1世は、バイエルン公位をハインリヒ獅子公に与え、その代わりにオーストリアを世襲の公国に昇格させた。
1166年、ハインリヒ2世は、マヌエル1世とハンガリー王イシュトヴァーン3世の和平を仲介していて、アグネスとイシュトヴァーンの結婚を提案した。しかし、王はそれに従わず、ハリチ公ヤロスラフ・オスモミスルの娘ヤロスラヴナと結婚した。この結婚は短く、ヤロスラヴナは1168年に離縁されて父のもとへ送り返された。オーストリアとの交渉が再開され、アグネスは同じ1168年にイシュトヴァーン3世と結婚した。このとき、アグネスは14歳ほど、夫は21歳ほどだった。長男ベーラが生まれたが、まもなく亡くなった。
1172年3月4日、イシュトヴァーン3世は、エステルゴムでアグネスの父ハインリヒ2世と会ったのち、突然病に倒れ、その日に亡くなった。毒殺のうわさもあったという。アグネスは夫の死の直前に2人目の男児を産んだが、生まれてまもなく亡くなった。葬儀の直後、アグネスは父に連れられてウィーンへ戻った。オーストリアとハンガリーの同盟は、ハインリヒの息子とイシュトヴァーンの妹ヘレナの結婚で更新された。
翌1173年、アグネスは、シュポンハイム家のケルンテン公ヘルマン2世と再婚し、2人の息子ウルリヒ2世とベルンハルトを産んだ。ともにのちにケルンテン公となった。1181年10月4日にヘルマン2世が亡くなり、アグネスも3か月後の1182年1月13日に亡くなった。ウィーンのショッテン修道院に、両親のそばに葬られた。
同じ年に亡くなった人物
- マリア・コムネナ (1182年没)
- マリー・ダンティオケ (1182年没)
- トゥロフのキリル (1182年没)
- アフマド・アル=リファーイー (1182年没)
- マリー・ド・ブローニュ (1182年没)
同じ地域に関係する人物
- ヤドヴィガ・ヤギェロンカ (1457-1502) (1502年没)
- マリア・エリーザベト・フォン・エスターライヒ (1743-1808) (1808年没)
- ミヒャエル・ギーレン (2019年没)
- レオ・ペルッツ (1957年没)
- クララ・ヒトラー (1907年没)