HISTORICAL PERSON · 1204年没

ルクヌッディーン・スライマーン・シャー

ルーム・セルジューク朝のスルタン(在位1196〜1204)。兄を倒して即位し、1201年にエルズルムを征服したが、1203年にグルジア軍に大敗した。

生涯
1204年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

スライマーン2世は、ルクヌッディーン・スライマーン・シャーとも呼ばれ、1204年に没した、ルーム・セルジューク朝の第7代スルターン(在位1196年 - 1204年、1197年からともされる)である。キリジ・アルスラーン2世の子で、トルコ語に由来する表記ではリュクネッディン・スュレイマン・シャーとなる。

1186年から1187年に、年老いて疲れた父キリジ・アルスラーン2世は、王国を10人の息子と、いちばん若い弟のサンジャル・シャーに分け与えた。スライマーンは、トカトを受け取った。長兄のクトゥブッディーン・マリク・シャーは、1189年に父を攻めてコンヤを奪った。1192年に父が没すると、その子供たちの間の後継者争いは激しさを増し、即位したのは、最年少のカイホスロー1世だった。兄弟たちの争いは続いた。1193年から1194年に、長兄がヌールッディーン・マフムード・スルターン・シャーを攻めてシヴァスを奪い、1194年から1195年の冬には、ムギースッディーン・トグリル・シャーを攻めてエルビスタンを奪った。

1196年、最年長でトカトの支配者だったスライマーンは、カイホスロー1世を廃位して自ら即位した。1197年に長兄が死ぬと、スライマーンはその領地と、カイホスロー1世の領地を手に入れ、カイホスロー1世は、1197年にアナトリアを脱出して、シリアやマグリブを流浪したのち、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの宮廷に亡命した。スライマーンは、近隣の支配者たちと戦って領土を広げた。弟のムイッズッディーン・カイサル・シャーからマラティヤを奪い、1201年にはエルズルムを征服して、翌1202年にこれを封土としてムギースッディーン・トゥグルルシャーに与えた。こうして父の王国の統一を取り戻し、セルジューク朝の力を回復した。東ローマ帝国との戦いにも成功した。

1203年のバシアンの戦いでは、グルジア軍に敗れた。1204年、東部アナトリアに残っていたトゥルクマーンの地方政権サルトゥク朝を滅ぼしたあと、グルジアに遠征して敗北し、帰国後に他界したとも伝えられる。同じ1204年には、アンカラを落としたあと、弟のムヒッディーン・マスウード・シャーを殺害している。この年には、コンスタンティノープルが十字軍に略奪され、ジンギスカンによるモンゴルの征服が始まった。スライマーンの死後は、3歳の幼い子のキリジ・アルスラーン3世が1204年から1205年に後を継いだが、わずか1か月で終わった。まもなく有力者たちは、コンスタンティノープルに亡命していたカイホスロー1世を呼び戻し、コンヤに入った彼は、キリジ・アルスラーンを退け、再度スルターンに即位した。

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