伝記
マルクス・リウィウス・ドルススは、共和政ローマ後期の政務官である。紀元前91年に護民官となって数々の法案を提出したが、その挫折が同盟市戦争の引き金になったとされる。同年のうちに暗殺され、没年も紀元前91年である。
プレブスのリウィウス氏族の出身で、父は紀元前122年に護民官、紀元前112年に執政官、紀元前109年に監察官を務めた同名の人物と考えられている。この父は監察官在任中に亡くなった。母は名をコルネリアというが、正確な素性は分かっていない。生年は紀元前122年以前とされる。兄弟にマメルクスと妹リウィアがおり、兄弟のどちらが年長だったかは研究者の間で意見が分かれる。若い頃は堅実で良心的な人物だったといわれる。父の死後は莫大な財産を受け継いだ。
経歴は、紀元前105年前後に軍団司令官を務めたことに始まるとされる。紀元前102年頃にはクァエストルとして小アジアに派遣され、あえて官職を示す装いを避け、簡素な身なりでいたという。紀元前94年頃にはアエディリスに選ばれ、受け継いだ財産で盛大な剣闘士競技などの祝祭を催して民衆を楽しませた。人に与えるために使い尽くし、泥と空気のほかは配るものが残っていないと語ったという話が残る。同僚レンミウスの提案には冷淡で、「我々の共和国が貴官と何か関係があるのか」と答えたと伝わる。パラティヌスの丘には、市民のだれもが自分の行いを見渡せるように造らせた邸宅を構えた。のちにこの家はキケロらの所有となった。また、幼い小カトの兄妹を預かった時期があり、弁舌と思慮深さから政界の指導的な存在でもあった。同盟市戦争の前には、イタリア側の指導者シロを数日間自宅で世話したこともあるという。
紀元前91年に護民官に選ばれると、ドルススは審判人に関する法、土地分配法、同盟市への市民権付与の提案などを打ち出した。ほかにも植民市建設、硬貨、穀物供給に関する法が知られる。彼は元老院第一人者マルクス・アエミリウス・スカウルスの派閥に属し、雄弁家ルキウス・リキニウス・クラッススらの支持も得ていた。小カエピオとは互いの女きょうだいを妻とした親友だったが、のちに個人的な諍いから敵対したという。法廷をめぐっては、紀元前122年にグラックスが審判人をエクィテスだけにし、紀元前106年のセルウィリウス法による混成も2年ほどで覆された。紀元前99年から92年の政治裁判では、エクィテスの法廷で有罪となった者が一人もなく、元老院の不満が募っていた。改革の中心は、恐喝を裁く法廷の審判人を、ガイウス・グラックス以来それを独占してきたエクィテスから元老院へ戻すことにあった。そのうえで約300人のエクィテスを元老院に加える構想だったとされる。おじのプブリウス・ルティリウス・ルフスが紀元前92年頃にエクィテスの法廷で有罪とされ追放されたことが、直接の動機と考えられている。このルフスは属州でエクィテスの商人の強欲に抗した人物で、スミュルナへ去った。
ただし、後世の敵対的な宣伝は、彼を最初から扇動家のように描いた。リウィウスの梗概は、野心家の彼が元老院に協力して人々を煽り、市民権を与える見返りに同盟市の協力を得ながら約束を破ったため、イタリックの人々が怒り、同盟市戦争の原因となったと述べる。同盟市への提案が実際に公布されたかどうかは疑わしい。元老院の同盟者のなかにも、ドルススが握りかねない個人的な力を警戒する者がいた。ドルススは元老院から見放され、紀元前91年の終わりに正体不明の暗殺者によって殺された。
同じ年に亡くなった人物
- 衛子夫 (紀元前91年没)
- ルキウス・リキニウス・クラッスス (紀元前91年没)
- アンティオコス11世 (紀元前91)
- クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス (紀元前91年没)
同じ地域に関係する人物
- アリダ・ヴァリ (2006年没)
- Duraisamy Simon Lourdusamy (2014年没)
- マルクス・リウィウス・ドルスス (紀元前108年没)
- ジャコモ・カリッシミ (1674年没)
- マルクス・ポルキウス・カト (紀元前118年没)