伝記
アウハディー・マラーギーは、1274年ごろに生まれ、イルハン朝のアブー・サイード・ハンの時代に活躍したスーフィー詩人である。フルネームはアウハドゥッディーン(もしくはルクヌッディーン)・イブン・フサイン・イスファハーニーという。居住して亡くなったマラーガにちなんで「マラーギー」と呼ばれるが、父がイスファハーンの出身で、自身もイスファハーンで生まれて生涯の多くをそこで過ごしたため、アウハディー・イスファハーニーとも呼ばれる。
代表作『ジャムの酒杯』の一節によれば、ヒジュラ暦673年、1274年ごろにイスファハーンで生まれ、十代後半までそこで過ごした。1290年代初頭から各地を遊歴したらしく、バスラ、バグダード、ダマスクス、スルターニーヤ、カルバラー、クーファ、ナジャフ、クム、ハマダーンなどの都市を巡った。一時はメッカにも住んだという。当初は「サーフィー」という筆名を用いたが、まもなく「アウハディー」に改めた。ティムール朝後期の詩人ダウラトシャーの『詩人伝』などによれば、13世紀前半の有名なスーフィー詩人アウハドゥッディーン・キルマーニーの作品に深く傾倒し、その尊称にちなんで改めたのだという。1306年、三十代半ばでマラーガに居を構えた。マラーガの北、1日行程のところにはイルハン朝の宮廷があったタブリーズがあり、しばしばそこへも赴いた。
1308年(1307年とも)には、ナスィールッディーン・トゥースィーの孫ワジーフッディーン・ユースフのために、男女の恋人が交わした恋文からなる物語詩『恋人たちの会議』を完成させた。『十の書』とも呼ばれる。1333年には代表作『ジャムの酒杯』を完成させて、アブー・サイード・ハンに献呈した。12世紀半ばのスーフィー詩人サナーイーの『真理の園』にならって書かれたマスナヴィー詩で、4,500対句余りからなる。スーフィズムの専門的な著作でありながら、社会や道徳、教育といった広いテーマが扱われ、彼の最高傑作と評されている。題名の「ジャム」は、古代イランの伝説の王ジャムシードが持っていたという神秘の器である。この器を使えば居ながらにして世界のすべてを映し出せたといわれ、多くの伝承では酒杯の形をしていたとされる。
1338年4月6日、マラーガで亡くなった。死後に墓廟が建てられ、現在に至っている。ダウラトシャーによれば、『ジャムの酒杯』は完成した当時、一か月に400人の写字生が書写するほどの人気で、分量が少ないのに十分な値で売り買いされた。ところが、ダウラトシャーの生きた15世紀後半にはすっかり忘れ去られており、写本の1葉さえ見捨てられていると嘆いている。
このほか、約8,000句を収める『詩集』がある。頌詩、抒情詩のガザル、連歌の一種のタルジーウ・バンド、四行詩のルバーイーなどからなり、頌詩にはアブー・サイード・ハンと、その宰相でラシードゥッディーンの子であるギヤースッディーンに献じたものが多い。それ以外はスーフィズムや道徳、宗教を主題としている。傑作は挽歌やガザルに多く、二世代ほどのちに現れる抒情詩の名手ハーフィズを予感させる作風とされる。イスファハーン方言で書いた詩もある。1960年代にサイード・ナフィースィーが全集の校訂本を出し、全体で14,740対句にのぼると数えた。
同じ年に亡くなった人物
- イサベル・デ・アラゴン (1302-1330) (1330年没)
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- アレクシオス2世 (1330年)
- ピエトロ・カヴァリーニ (1330年)
- ジャンヌ2世 (ブルゴーニュ女伯) (1330年没)
同じ地域に関係する人物
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- テグデル (1284年没)