HISTORICAL PERSON · 1361年没

フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)

ブルゴーニュ公。4歳で公位を継ぎ広大な遺領を得る結婚も控えていたが15歳で早世し、遺領はヴァロワ=ブルゴーニュ家成立の契機となった。

生涯
1361年没
死亡地
フランス共和国(コート=ドール県 / ルーヴル=アン=プレーヌ)
出生地
フランス共和国(ルーヴル=アン=プレーヌ)
出典
世界地図
フランス共和国(コート=ドール県)

伝記

フィリップ1世は、フランスのブルゴーニュ公(在位1349年〜1361年)である。1346年にルーヴル城で生まれ、同じ城で没したことから、フィリップ・ド・ルーヴルの通称で知られる。

父は1323年生まれのオーヴェルニュ伯フィリップ、母はオーヴェルニュ女伯ジャンヌで、フィリップはその唯一の男子だった。父はブルゴーニュ公ウード4世の一人息子だったが、フィリップの誕生と前後して早世した。母ジャンヌは1349年にフランス王ジャン2世と再婚し、1360年9月に亡くなるまでブルゴーニュを統治して、フィリップの後見人をつとめた。相続は幼いころから重なり、1349年に祖母ジャンヌ3世からブルゴーニュ伯領とアルトワを、1350年に祖父ウード4世からブルゴーニュ公領を受け継いだ。公位を継いだのは4歳のときだった。幼い公の領地では、母の再婚相手で、のちにフランス王となるジャン2世も統治に関わったという。

1357年5月14日、サン=ヴァーストで又従妹にあたるフランドル女伯マルグリット・ド・ダンピエールと結婚した。この結婚により、フランドル、ヌヴェール、ルテル、アントウェルペン、ブラバント公国、リンブルク公国をさらに手にするはずだった。1360年に母が亡くなると、すでに判断力の成熟を見せていたとされるフィリップは成年と認められ、母からオーヴェルニュとブローニュを相続した。ブルゴーニュ公領と母方の土地に加え、祖母から受けたブルゴーニュ伯領とアルトワも直接治める彼は、ヨーロッパの広い範囲を支配下に置く立場にあった。

しかし1361年11月21日、腺ペストか乗馬の事故のため、15歳で亡くなった。又従妹との結婚は、まだ実を結ぶ前だったとされる。死の10日前の11月11日に遺言を書いていたが、そこから病状の深刻さはうかがえないという。子も兄弟もなく、遺領はそれぞれの血縁に従って分かれた。オーヴェルニュとブローニュは、母方の大叔父であるブローニュ伯ジャンが継いだ。ブルゴーニュ伯領とアルトワは、祖母ジャンヌ3世の妹であるマルグリットが継いだ。ブルゴーニュ公領は、ロベール2世の孫で継父でもあるジャン2世が、実質的にはその子シャルル5世が獲得した。

ブローニュ伯ジャンは12月28日にブルゴーニュ公国の廷臣を集めて会議を開き、「公領は公領として存続」することが了解された。翌1362年1月16日には、フランス王ジャン2世、ブルゴーニュ女伯マルグリット、ブローニュ伯ジャンの三者がシトーで合意した。これは公的文書によるものではなく、のちに同日付の証書が交わされた。ロベール2世の長女マルグリットの孫であるナバラ王カルロス2世(エヴルー伯シャルル)は、長系の相続者として公位を要求したが、周囲の支持を得られず、1363年にシャルル5世が差し向けた傭兵隊長ベルトラン・デュ・ゲクランの軍に敗れて要求を放棄したとされる。1363年1月15日、神聖ローマ皇帝カール4世との間で、フランシュ・コンテをシャルル5世の弟フィリップに授封する密約が成立し、同年9月6日、公位はこの豪胆公フィリップに与えられた。こうしてヴァロワ=ブルゴーニュ家が成立した。

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