HISTORICAL PERSON · 1369年没

フィリッパ・オブ・エノー

イングランド王エドワード3世の王妃。夫不在時に摂政を務めネヴィルズ・クロスの戦いで軍を激励し、毛織物技術の導入にも貢献した。

生涯
1369年没
死亡地
イギリス連邦(ウィンザー・アンド・メイデンヘッド / ウィンザー城)
出生地
フランス共和国(ヴァランシエンヌ)
出典
世界地図
イギリス連邦(ウィンザー・アンド・メイデンヘッド)

伝記

フィリッパ・オブ・エノーは、イングランド王エドワード3世の王妃である。エノー伯ギヨーム1世と、フランス王フィリップ6世の妹ジャンヌとの娘で、1310年とも1314年ともいわれる6月24日に生まれた。貿易の中心地として成長しつつあった低地地方で育ち、財政や外交にも通じていたとされる。姉のマルガレーテは神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の皇后である。

イングランド王エドワード2世と不仲だった王妃イザベラは、大陸に渡って助力を求めていた。1325年とも1326年ともいわれる時期に、イザベラは息子のエドワード王太子とともにエノー伯の屋敷に滞在した。このとき、フィリッパとエドワードは互いに惹かれあったという。イザベラは、2人の結婚と引き換えにエノー伯から軍資金を得て、1327年にエドワード2世を廃位し、王太子を国王エドワード3世に即位させた。2人は又従兄妹にあたるため、教皇の特免状を受けた。1327年10月にヴァランシエンヌで代理人を立てて結婚し、1328年1月24日にヨーク大聖堂で正式に結ばれた。母后イザベラが自分の立場を手放そうとしなかったため、戴冠は2年延びて、1330年2月18日にウェストミンスター寺院で行われた。この年の6月に長男エドワードが生まれ、10月に王が自ら政治を行い始めた。

フィリッパは、外国人の側近を多く連れてイングランドの人々の反感を買うことはしなかった。1335年にはフランドルの織物職人をイングランドに招き、ノリッジに毛織物の産業を築くよう促した。1337年に始まった百年戦争では、王とともに戦場に同行し、1338年から1340年にはフランドルに滞在した。1346年4月に夫が再びフランスへ遠征すると、イングランドの摂政を任された。スコットランド王デイヴィッド2世が南下したため迎え撃ち、10月のネヴィルズ・クロスの戦いでは、全軍の前で激励の演説をしたという。戦いはデイヴィッド2世を捕虜とするイングランド軍の勝利に終わった。1346年の暮れにフィリッパはフランスへ渡り、カレーを包囲中の夫と合流した。1347年にカレーが開城したとき、夫に取りなして市民代表6人の処刑を中止させ、人々の人気を集めた。

その後はイングランドに戻ることが多くなり、ティンデイルでの石炭採掘を奨励した。1358年には、ガーター騎士団の初の女性受勲者となった。1359年に3度目のフランス遠征に同行したのち、1361年からは歴史家ジャン・フロワサールを、死ぬまでの8年間、秘書として宮廷に迎えた。夫とのあいだには8男5女が生まれ、そのうち成人したのは5男4女だった。長男はエドワード黒太子で、ほかにジョン・オブ・ゴーントやエドマンド・オブ・ラングリーらがいる。成長した息子たちがヨーロッパ各地に散らばり、身近な家族が少なくなると、次男ライオネルの娘で、同名の孫フィリッパを手元で育てた。フィリッパは1369年にウィンザー城で亡くなり、ウェストミンスター寺院に葬られた。1376年に黒太子が亡くなり、翌1377年にはエドワード3世も亡くなって、黒太子の遺児リチャード2世が幼くして即位した。

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