伝記
ジョン・バーバーは、1320年ごろに生まれ、1395年3月13日に没したスコットランドの詩人であり、スコットランド語で書いた最初の主要な文学者として名が知られる。現存する主な作品は、歴史を題材にした韻文の物語詩『ブルス』で、この詩の名声のために、同じ時期に残るスコットランド語の長い作品が、彼の作ではないかと考えられることもある。晩年はアバディーン教区の副司教を務め、オックスフォードやパリでも学んだ。聖職者でありながら、現存する作品は調子も題材も世俗的である。
生年は、1375年に55歳と記録されていることから1320年ごろとされるが、生地は分からず、アバディーンシャーとギャロウェイが争っている。歴史の記録に初めて現れるのは1356年で、ダンケルド大聖堂の職に就いて1年足らずで、アバディーンの副司教に昇った。このことから、彼は1355年にアヴィニョンにもいたと推測されている。1357年、亡命していたデイヴィッド2世がスコットランドに戻って実際に統治を取り戻すと、バーバーはイングランドを通ってオックスフォード大学へ向かうための通行証を受け取った。そののちも、デイヴィッド2世が実際に統治していた時期と重なる年に、国を離れたようである。
1371年にデイヴィッド2世が死去すると、バーバーはロバート2世の宮廷でさまざまな役を務めた。1372年には国庫の会計検査官の一人となり、1373年には会計の書記となった。この時期に『ブルス』を書いて、1377年に10スコットランド・ポンドの贈り物を、1378年には年20シリングの終身年金を受けた。ロバート2世は彼の主な庇護者であり、王が即位する前の昇進や移動の記録は、彼が将来の王のために政治的に動いていたことをうかがわせる。
『ブルス』は、1370年代に王の家中にいたころに書かれた長い物語詩で、第一次スコットランド独立戦争の最終的な成功を主題とする。中心となるのはロバート・ブルースとジェームズ・ダグラス卿であり、後半にはロバート2世の先祖であるスチュワート家の働きも描かれる。バーバーの意図は、歴史を伝えることと愛国心を示すことの両方にあった。詩は1286年のアレグザンダー3世の死の時点のスコットランドから始まり、ほぼ1332年のダグラスの死とブルースの心臓の埋葬で終わる。中心の場面はバノックバーンの戦いである。自由を「高貴なもの」として何としても勝ち取るべきだとするが、その愛国心は後世のスコットランド文学より一般的な言葉で表されている。文体は力強く、行は流れるように速く、すぐれた箇所もある。
晩年について確かな伝記上の証拠は、1392年にアバディーンの記録簿の証書に証人として署名したことだけである。アバディーンの聖マカール大聖堂の死亡記録帳によれば1395年3月13日に没し、国の記録でも、この日以降は年金が支払われていない。彼は自分と両親のためにミサを行う手配をしており、それは宗教改革まで同大聖堂で守られた。ほかに、スチュワート家の系譜をたどったとされる『スチュワート家の起源』も書いたが、失われており、そのわけは分からない。『アレクサンダーの書』や、3万3000行を超える聖人伝をバーバーの作とする試みもあるが、のちの批評の評価は分かれている。
同じ年に亡くなった人物
- マーリア (ハンガリー女王) (1395年没)
- マリア・アンゲリナ (1395年)
- コンスタンティン・ドラガシュ (1395年没)
- イヴァン・シシュマン (1395年)
- ギヨーム・ティレル (1395年没)
同じ地域に関係する人物
- ウィリアム・マクギリヴレイ (1852年没)
- エリック・リンクレーター (1974年没)
- アレクサンダー・ベイン (1903年没)
- ジョン・ジェームズ・リチャード・マクラウド (1935年没)
- アルフレッド・アドラー (1937年没)