伝記
ベアトリス・デ・ポルトゥガルは、1373年2月に生まれた、カスティーリャ王フアン1世の2度目の王妃である。ポルトガル王フェルナンド1世と王妃レオノール・テレスの長女で、生き残った唯一の嫡出子だった。生まれたのはコインブラで、第二次フェルナンド戦争のさなか、カスティーリャ軍が短期間この町を包囲していたときにあたる。弟たちが次々と早世したため、フェルナンド1世の後継者に指名された。貴族のなかには、レオノールの身持ちの悪さから、ベアトリスの父は王ではないのではないかとささやく者もいた。
幼いころのベアトリスは、父が結ぶ外国との同盟の駒として、次々と縁談の相手を決められた。生まれた直後には、カスティーリャ王エンリケ2世の庶子でベナベンテ公に叙されたファドリケとの婚約が決まった。1376年のレイリア議会は、ベアトリスを王位継承者として支持すると誓い、この婚約を認めた。婚約は11月24日にレイリアで正式に結ばれ、1377年1月3日にエンリケ2世が受け入れた。1379年にエンリケ2世が死んでフアン1世が継ぐと、翌1380年5月21日の取り決めで、ベアトリスはフアン1世の長男、のちのエンリケ3世と婚約した。結婚は、1歳の王子が14歳になったときに行われるはずだった。この取り決めは同じ年の8月にソリア議会で承認された。
1383年にフェルナンド1世が重い病にかかると、ベアトリスの摂政として実権を握ったレオノールは、前年に最初の王妃レオノール・デ・アラゴンと死別したフアン1世に、ベアトリスとの結婚とポルトガル王位の譲渡を持ちかけた。愛人のアンデイロ伯と結んで国政を牛耳るレオノールは、カスティーリャ王を取り込んで、自分の実権を強めようとしたのである。ポルトガル王位に引かれたフアン1世は同意し、1383年5月17日、エルヴァスで11歳のベアトリスと結婚した。同じ年の10月にフェルナンド1世が亡くなり、レオノールは義理の息子のフアン1世とベアトリス女王の摂政となった。翌1384年、ベアトリスは12歳で、ミゲル王子を産んだ。
しかし、外国人に実権を売り渡すことに、ポルトガルの国民と貴族は怒った。フェルナンド1世の庶弟でアヴィス騎士団長のジョアンが圧倒的な支持を得て反乱を起こした。1384年、フアン1世は、ミゲル王子こそ正当な王位継承者だとして、ポルトガルに攻め込んだ。1385年、カスティーリャ軍はアルジュバロータの戦いで大敗し、2年あまり続いた戦争が終わった。ジョアンはアヴィス王朝の初代の王として即位し、ベアトリスはジョアンを王と認めて、自ら退位した。
ミゲルは1385年に亡くなり、ベアトリスにはほかに子が生まれなかった。夫の死後は、カスティーリャ宮廷で脇に退けられたが、自分の王位継承権に忠実で、カスティーリャに逃れていたポルトガルの亡命者たちの暮らしに気を配り続けた。1408年にマドリガルで亡くなり、トーロに葬られたとされる一方、1410年代から記録が減り、1420年ごろに消息が絶えるともいわれる。ベアトリスは短いあいだでもポルトガル女王を称したため、ポルトガル君主の一覧に名が加えられることもある。
同じ年に亡くなった人物
- ジョン・ガワー (1408年没)
- ハイダル・アームリー (1408年)
- 足利義満 (1408年没)
- ミーラーン・シャー (1408年没)
- ヨハネス7世パレオロゴス (1408年没)
同じ地域に関係する人物
- ベアトリス・デ・スアビア (1235年没)
- アルフォンソ3世 (アストゥリアス王) (910年没)
- オルドーニョ3世 (956年没)
- セシリア (1976年没)
- ガルシア1世 (レオン王) (914年没)