HISTORICAL PERSON · 1438年没

リシャール・デタンプ

ブルターニュ公ジャン4世の子でエタンプ伯。兄がパンティエーヴル家に幽閉された際、義姉らと共に城を包囲させて兄を救出した。

生涯
1438年没
死亡地
フランス共和国(ロワール=アトランティック県 / クリッソン城)
出生地
—
出典
世界地図
フランス共和国(ロワール=アトランティック県)

伝記

リシャール・デタンプは、フランス・ブルターニュ公国の貴族である。ドルー家の一員で、リシャール・ド・モンフォール、リシャール・ド・ブルターニュとも呼ばれる。ヴェルテュ伯、ブノン伯、マント伯、エタンプ伯となった。1395年に、ブルターニュ公ジャン4世と、三番目の妻でナバラ王シャルル2世の娘であるジャンヌとの間の第8子として生まれた。ブルターニュ公ジャン5世、アランソン公ジャン1世の妃マリー、アルテュール3世の弟にあたる。

1399年に父が亡くなると、後見人のオリヴィエ・ド・クリッソンの計らいで、ほかの兄弟とともにブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)に引き取られた。1403年に母がイングランド王ヘンリー4世と再婚してイングランドへ渡ったあとも、リシャールはフランスにとどまった。1410年にアルマニャック派が結成され、長兄のジャン5世が加わると、先代オルレアン公ルイの娘マルグリット・ドルレアンとリシャールの婚約が決まった。マルグリットは、オルレアン公シャルルの妹で、又従妹にあたる。同時に、オルレアン公シャルルの娘ジャンヌと、リシャールの甥アランソン公ジャン2世の婚約も決まった。1419年には、ギュイエンヌとポワトゥーの総司令官に任じられた。

1420年、リシャールは長兄とともに、パンティエーヴル家のパンティエーヴル伯オリヴィエとその母マルグリットから、狩りと称して招かれ、シャントソー城に幽閉された。直ちに義姉のジャンヌをはじめ、ドルー家の家臣団が出動して城を包囲し、パンティエーヴル家は降伏して、ジャン5世らは解放された。1423年には、婚約どおりマルグリット・ドルレアンと結婚した。花嫁は持参金としてヴェルテュ伯領を受け、リシャールは妻の権利によって伯となった。この結婚に伴い、妻の従兄にあたるフランス王シャルル7世から、エタンプ伯に叙せられ、ポワチエの荘園も与えられた。同じ年、クリッソンの男爵となり、クルトネーなどの領主ともなった。1424年にはルナックとボワ=ラウルの城主となり、1425年10月にはマント伯となった。

しかし当時は百年戦争のさなかで、エタンプ伯領は、シャルル7世と敵対するブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)の占領下にあったため、伯の地位は名目上のものであった。フィリップは1434年まで自ら保持し、その後、従弟のヌヴェール伯ジャン2世に与えた。エタンプ伯領は、1435年9月にようやくリシャールに戻された。夫妻の間には7人の子が生まれ、長女マリーはフォントヴロー女子修道院長となり、1435年生まれのフランソワ2世はのちにブルターニュ公になった。カトリーヌは1438年にオランジュ公ギヨーム7世・ド・シャロンと結婚し、マルグリットとマドレーヌは修道女になった。リシャールには、愛人との間の庶出の娘もいた。1438年6月2日、クリッソン城で亡くなった。兄のジャン5世とアルテュール3世は、ともに父の跡を継いでブルターニュ公となっていた。リシャールの嫡出の子フランソワ2世が、父の跡を継いでエタンプ伯となり、叔父アルテュール3世の跡を継いでブルターニュ公となった。

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