伝記
アフマド・イブン・アラブシャーは、アラブの著作家であり、旅行者である。ティムールの治世のころに生きた。正式にはアブー・ムハンマド・シハーブッディーン・アフマド・イブン・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・イブン・イブラーヒームといい、ムハンマド・イブン・アラブシャーとも呼ばれる。1389年に生まれ、1450年に没した。ティムールの伝記『運命の驚異』の著者として知られる。
ダマスクスで生まれ、そこで育った。ティムールがシリアに侵攻したとき、母や姉妹とともに捕らえられ、奴隷としてサマルカンドへ、さらにマー・ワラー・アンナフルへ連れて行かれた。のちにエディルネに移り、スルタンのメフメト1世の宮廷で、アラビア語の書物をトルコ語とペルシア語に訳す仕事に就いた。ダマスクスを離れてから23年たって、ふたたびダマスクスに戻った。その後エジプトに移り、そこで亡くなったとされるが、ダマスクスで亡くなったともいわれる。イマーム(導師)やカーディー(裁判官)を務め、雄弁で名高かったとも伝えられる。アラブシャーの名がアンサーリーと呼ばれるのは、預言者ムハンマドの援助者アンサールの一人の血筋だと称したためである。学者のアブドゥル・ワッハーブ・イブン・アラブシャーは、その息子である。
最も重要な著作は、アラビア語で書いたティムールの批判的な伝記『アジャーイブ・アルマクドゥール』(『運命の驚異』)で、1435年8月12日にダマスクスで書き終えた。この書でアラブシャーは、ティムールがアラビア語を読み書きできず、ペルシア語の文学を好んだことを強調した。美文と文体の華やかさに気を配るあまり、歴史の真実への配慮が劣ったとされ、年代の順も混乱しており、ティムールへの激しい憎しみを抱き続けていたとも評される。同書は、ヨーロッパでも何度か出版された。最初のラテン語訳は1636年にライデンで刊行され、その後も1767年から1772年にかけて、別の訳が出た。1818年にはカルカッタで、アラビア語の原文が校訂されて刊行された。1658年にはフランス語訳も出ている。トルコ語には、1729年にコンスタンティノープルで刊行された訳がある。英語訳は1936年に出た。
そのほかの著作に、『ザーヒルの生涯』、『ファキーハト・アルフラファー』、『ジャーミウ・アルヒカーヤート』(ペルシア語からトルコ語への翻訳)などがある。
同じ年に亡くなった人物
- バジル・バレンタイン (1450年)
- サセッタ (1450年代没)
- ハインリヒ16世 (バイエルン公) (1450年没)
- アニェス・ソレル (1450年没)
- ジャック・ケイド (1450年没)
同じ地域に関係する人物
- Mahmoud Sami el-Baroudi (1904年没)
- ナースィル・ハサン (1361年没)
- カーディー・アル=ヌゥマーン (974年没)
- ハーキム (1021年没)
- バドル・アル=ジャマーリ (1094年没)