HISTORICAL PERSON · 1985年没

シモーヌ・シニョレ

フィルム・ノワールのヒロインや娼婦役で強い印象を残したフランスの女優。1959年の『年上の女』でアカデミー主演女優賞を受賞した。

生涯
1985年没
死亡地
フランス共和国(ウール県 / オーテイユ=オートゥイエ)
出生地
ドイツ連邦共和国(ヴィースバーデン)
出典
世界地図
フランス共和国(ウール県)

伝記

シモーヌ・シニョレは、本名をシモーヌ・アンリエット・シャルロット・カミンケルといい、1921年3月25日に生まれ、1985年9月30日に没したフランスの女優である。フィルム・ノワールのヒロインや娼婦の役で強い印象を残した。1959年の『年上の女』でアカデミー主演女優賞とカンヌ国際映画祭の女優賞を受け、フランスの女優としては、1935年のクローデット・コルベールに次いで2人目のアカデミー主演女優賞受賞者となった。

ドイツのヴィースバーデンで、長女として生まれた。父アンドレ・カミンケルはポーランド系ユダヤ人を出自とするフランス人で、フランス占領軍とともにラインラントに駐在する文官だった。母ジョルジェットはフランス人で、その父は画家だった。弟が2人いる。1923年に一家はパリに移った。リセ・パストゥールでは、のちに映画女優となるコリンヌ・リュシェールと同級生で、友人でもあった。第二次世界大戦が始まると、母と子供たちはブルターニュに避難し、ヴァンヌの高校に通った。父は自由フランスに加わるためロンドンへ行き、アナウンサーを務めた。

パリに戻ると、母を助けるために働かねばならず、英語やラテン語の教師、タイピストなどの仕事をした。ナチスによる占領中は、父がユダヤ人であることを隠して働いたという。対独協力派のジャン・リュシェールが率いる新聞社の、秘書の助手として雇われたが、1941年の春には辞め、映画の仕事をしようと決意した。半分ユダヤ人であることから、宣伝部隊の発行する許可証を持っておらず、エキストラから始めた。このとき、本名の姓を母の姓シニョレに替え、名前の綴りから「n」を一文字削って、芸名にした。家族を援助するため、また演技に興味を持ったため、1942年からエキストラとして映画に出演し始めた。1943年に映画監督イヴ・アレグレと出会い、恋人となった。1946年の映画で注目され、1947年にシュザンヌ・ビアンケッティ賞を受賞した。1947年にアレグレと結婚し、長女で女優のイザベル・アレグレが生まれたが、2年後に離婚した。アレグレは彼女に最初の重要な役を与えた。

1951年、イヴ・モンタンと再婚した。ほかの監督のもとでスターの座に就いたのは、1952年の『肉体の冠』や、1955年の『悪魔のような女』などによってである。1954年に、夫妻はノルマンディーのオートゥイユ=オートゥイエに屋敷を買い、芸術家や知識人の集う場となった。サルトルやボーヴォワールらがたびたび滞在した。夫妻は左派の考えを表明し、共産党の「同伴者」と見なされた。戦後はフランス共産党員として、多くのデモや活動に夫のモンタンと参加した。1957年にモンタンの東側諸国巡演に同行したが、社会主義の現実に失望し、党と距離を置くようになった。1960年には、二人はマリリン・モンローとアーサー・ミラーが住んでいたビバリーヒルズのホテルに滞在し、モンタンとモンローの関係が不倫に発展することもあったが、二人はシニョレの死まで一緒であった。1978年には、ロマン・ガリの小説を原作とする映画で、セザール賞の主演女優賞を受けた。50代に入る頃からは、実年齢以上の老け役を演じることが多かった。

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