伝記
ジェラルディン・スー・ペイジは、1924年11月22日に生まれ、1987年6月13日に没したアメリカ合衆国の女優である。映画、舞台、テレビにまたがる40年のキャリアのなかで、アカデミー賞、英国アカデミー賞、エミー賞2回、ゴールデングローブ賞2回を受け、トニー賞に4度ノミネートされた。1985年の『バウンティフルへの旅』でアカデミー主演女優賞を受賞した。
ミズーリ州カークスヴィルで、整骨医学校に勤める父レオン・アーウィンと、母パール・メイジーの第一子として生まれた。父は解剖学などの著作もある著述家であった。弟のドナルドがいる。5歳のときに一家でシカゴに転居した。母によってメソジストとして育てられ、教会の劇団で初めて演技を経験した。ピアニストや画家を志したこともあったが、17歳のときに初めてアマチュアの舞台に立って以来、プロの女優になる望みを変えなかった。シカゴのアート・インスティテュートに付属するグッドマン演劇学校で学び、1945年に卒業した。その後はニューヨークでウタ・ハーゲンに7年にわたり演技を学び、続いてアクターズ・スタジオでリー・ストラスバーグに学んだ。夏にはシカゴに戻って、仲間と設立した劇団の舞台に立った。変装の巧みさから「千の顔をもつ婦人」と呼ばれたこともある。キャリアを築こうとする間は、帽子預かり係や劇場案内係、下着のモデル、工場労働者など、さまざまな仕事をした。
1945年10月25日にニューヨークの舞台でデビューし、1952年に演出家ホセ・キンテーロの舞台でアルマを演じ、ドラマ・デスク賞を受けて、雑誌でも紹介された。1953年にジョン・ウェインの相手役を務めた『ホンドー』でスクリーンデビューし、デビュー作にしてアカデミー助演女優賞にノミネートされた。赤狩りの時代には、ウタ・ハーゲンとの関係を理由に、ハリウッドでブラックリストに載せられ、8年間映画に出られなかった。1961年の『肉体のすきま風』と1962年の『渇いた太陽』で、2年連続でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受け、アカデミー主演女優賞にも連続でノミネートされた。1967年と1969年には、トルーマン・カポーティ原作のテレビ作品でエミー賞を受けた。
フランシス・フォード・コッポラが若いころに撮った『大人になれば…』でも助演女優賞の候補となり、ウディ・アレン監督の『インテリア』では、完璧主義のインテリア・デコレーターを抑制の効いた演技で見せ、主演女優賞の候補となって、英国アカデミー賞の助演女優賞を受けた。1985年の『バウンティフルへの旅』で、8回目のノミネートにして悲願のアカデミー主演女優賞を受賞した。8度のノミネートは、女優の演技部門では歴代4位にあたる。演劇の功績により1979年にアメリカ演劇殿堂に迎えられた。1987年6月13日、ニューヨークの自宅アパートで、心臓発作のため亡くなった。
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